明日から弁護士です

18歳で関西に来て以来、「自分はよそ者だ」という感覚を拭えないでいつづけたせいか、ロースクールのエクスターンで初めて弁護士の業務を間近に見たその時点で僕は、「あ、弁護士無理だわ」と思いました。

ただでさえ異国の地で萎縮しているのにそのうえ人の争いに、しかも自分の名前をもって突っ込んでいくとかできないと思いました。「来る道まちがえた」とはっきり思いました。

それでも法律実務家にはなりたかったので、裁判官だったら全国転勤だし、勝手にやって来た事件を一段高いところから処理していけばいいんだし、いいな、司法試験もそこそこの成績だったし、と考えて臨んだ修習は完全に周りが優秀すぎて自分の能力が低すぎてもう心がポキポキ青息吐息、進路どうすればいいかわかんなくなりすぎて弁護士の先生の前で路上嘔吐したり、翌朝早く道路を掃除しに向かったらすでにきれいに掃除されていて先生に掃除させたんか俺は、と絶望したりして修習は全然楽しくなかったんですけど、他方で、修習中に今の事務所に出会って、ボスから仕事内容を説明されたとき、学部から今までのことが全部つながったというかここで伏線回収かよみたいな気持ちになって、結局修習地で弁護士になり明日初出勤です。

相変わらずよそ者意識がぬぐえないうえに自分の能力を頼る心も折れていて、さすがにこのままスタートを切るわけにはいかないので、この前、意識改革をしました。

今までの自分の世の中に対する姿勢は、こう、緊張を強いられる外側部分と絶対安全な内側部分の二重構造だったんですけど、比喩としてはゆで卵の断面を挙げられるのですけど、そんで今までの自分は絶対安全な内側部分をいかに確保するかにあくせくしていたんですけど、それをもうやめて、もう、「みんなみんないいひと!」って思うように変えようかなって思いました。前にツイッターか何かで、サンタさんに願うプレゼントを「この世のすべて」って紙に書いて靴下に入れておいたら翌日靴下が裏返しにされていた、みたいな話を見たことがあって、それと同じ、内と外を分けていた靴下を裏返してすべてを内側に、すべての人が味方だ、みたいな気持ちで生きよう、目線を個人レベルに落とそう、あそこでチャリ漕いでるおばさんも通行人Aではなく誰かの母親、目の前でスマホいじってる中年男性も乗客Bではなく誰かの父親、もしくは上司?知らんけど、人生がある、同じ人間、だから恐れることは何もない。みたいなね。

まあ、意識改革っていうて無理あるんですけどね、意識みたいな頑丈なものが改革されたことなかなかない。だから、ああほんとにマジで働きたくね、ってナーバスになっていたんですけど、年末に、一緒に浪人して一緒に受かったローの友達の家に泊まったのがちょっと転機になりました。

翌朝、そいつがいつものように「なあどうしたらいいと思う?」ってブツブツ言ってきました。「一年目って0時まで残って勉強するのよりは飲みに行くべき?」って、聞いてきて、僕はそのとき「ここんち日当たり最高だな」と思いながら座椅子でオードリー若林の「社会人大学人見知り学部卒業見込み」を読んでいたのですが、聞かれたので、「まあ、今のうちに勉強しないと将来使えないままじゃん」みたいに答えたと思うんですけど、そんで僕は本に目を戻したんですけど、僕はそのとき「0時って」って思いました。こいつにとって、時間全部自分のものなんだなって思いました。全部使うつもりなんだなって思いました。そいつはなおも「やりたいこといっぱいあるわー」ってブツブツ言ってて、僕は「へぇ」か「ほぉ」みたいな声出しながら、聞いてましたけど、陳腐な表現ですけどマジでこいつ希望しか持ってないなって思って、一緒にスタート切る同期がなんか希望に満ち溢れてるわ、ってそれを見てたらなんかやる気が出ました。そうじゃんこれから別に、自由じゃん、人生、って思いました。そういう感じの着地です。まあ僕は0時には就寝していたいと思っていますが。睡眠7時間は確保したいな。とりあえず1年間は生き延びたい。