三國志9パワーアップキット プレイ日記①
司法試験終わったらやろうと思っていました。
本当は試験終わったらすぐ梅田のヨドバシカメラに行って買って帰る予定だったのですが、なんだかんだ後日となり今始めたところです。
小学4年生の時父親にプレイステーション2のパワーアップキットじゃない版を買ってもらって以来のプレーです。
三國志はその後もⅩ、11、11パワーアップキットをやり(いずれも劉備プレイ)、13パワーアップキットはプレイ動画を死ぬほど見ましたが、Ⅸが一番面白いと思う。
ネット上でもⅤと並んでコーエー三國志史上最高傑作とか言われている。
僕が初めて三国志に出会ったのは小学4年生のとき、父親から三国志という本が面白いから読めといわれて図書館から借りてきたのがきっかけですが、三國志のゲームを知ったのは、ワイが図書館から借りてきたとたんに「おう、行くぞ!」とか言ってカメレオンクラブに連れていかれ、「これが面白いんだ」と当時コーエー三國志最新作だった三國志Ⅸを買ってくれたことであり、通常みられる「ゲーム→小説→正史」という王道ルートと比べて少し違う。
いずれにせよ小説から入ったということで劉備が好きなので、劉備でプレイします。
のっけから申し訳ないですが劉備の統率力を75から80に上げました。
三國志13の劉備の統率力が80になっていたのでいいかなと思いました。
若かりし頃の劉備は戦場で活躍させたい。「魅力」もⅨでは無いし。
190年の反董卓連合です。
たしか207年の三顧の礼で劉備が47歳だから、この時点だと30歳ぐらいか。
小学4年生、あのころの袁紹にわけもわからず滅ぼされゲームオーバーを繰り返していた自分はいまや25歳(無職)、上級も辞さない。
エキスパート設定ってよくわからなくてCOMの強さ適当に100パーセントにしといたんですが、これ普通の強さですね。ミスった。
オープニンブが流れる。
190年1月、平原から始まる。
兵力は平原4000、安徳港と高唐港に2000ずつで8000です。
ただここから15年ぶりに始めた三國志Ⅸの興奮でスクリーンショット撮り忘れが多い。
戦略としては、1年間反董卓連合で他勢力から攻められる恐れがないうちに平原を捨て汝南に移り、連合解消したら許昌を落とし、宛、新野と手を広げ、劉表に宣戦布告して襄陽までがっちり取ろうかなと考えております。
張飛は訓練でもさせておく。
が、全然登用できない
廖化しか登用できてない。
劉壁も士官の誘い断る断る。
結局周倉も劉壁もキョウトとか管亥とか黄巾の残党も仲間にできなかったけど、
なぜか董卓に登用されていた陳震を引き抜くことができた。政治力高い陳震は嬉しい。
他方で張飛には汝南に向かわせる。
劉岱の濮陽を通過させてもらい、董卓軍の虎牢関の前を通ったときに若干矢を浴びつつも、汝南を落としました。
スタートから2か月です。
廖化に安徳港と高唐港の計4000の兵士も集めて汝南まで進軍させ、劉備らは汝南へ移動、富国強兵。
周りは、許昌に孔チュウ30000と、寿春に陶謙20000と、陳留に曹操50000。
曹操に攻められるのが怖いけど、陳留のすぐ西の虎牢関に董卓の呂布と50000がいるので攻めてこられないという計算である。
曹操のもとにいた伊籍を引き抜いて仲悪くなっても大丈夫。
虎牢関が強大だからです。
ちなみに洛陽にも50000いる。
反董卓連合の間に孔ちゅうの許昌の領土内である潁川に陣を建設して探索しまくる。
そうすると郭嘉が見つかる。登用する。
断られる。
めげずに潁川を探索する。
荀彧が見つかる。登用する。
仲間になる。
軍師を関羽から荀彧に即交代、嬉しさのあまり主簿に任命してしまう。
荀彧に褒美をあげて忠誠を上げつつ潁川をさらに探索させると陳羣が見つかる。
九品中正制度の人ですね。
荀彧で登用すれば成功する。
荀彧って褒美あげても忠誠2ずつしか上がらないんですね。
義理が15ぐらいあるのだろう。後漢名士の価値基準の根底には漢を守ろうとする儒教理念が置かれていたらしい。義理の高さも納得である。
汝南で探索をすると経子を発見できたので荀彧に与えて忠誠を100にしておいた。
経子の効果は知力+8なので、荀彧の知力はいまや105である。
賊が「その大耳・・・あ、あなたが劉備様?!」とかいって仲間になって兵士が2000人ぐらい増えます。
191年になり反董卓連合が解散されました。
戦争が起きる起きる。
がら空きになっていた平原をねらって韓馥と袁紹に速攻で宣戦布告されました。
袁紹にとられました。
調子に乗った袁紹は韓馥を速攻で滅ぼしていた。
わが軍は、、、
孔チュウも後漢の名士だし、すまないと思ったが、劉備は「これも世の習い、、、」とか言って宣戦布告していた。
許昌は兵30000武将2人だから遅かれ早かれ滅んでいたと思う。
潁川の陣に兵30000(+仲間になった賊4000ぐらい)を送っておき、関羽、呂範で関羽隊、劉備、廖化で劉備隊をいずれも井欄で編成し本隊としておいた。
一方でそれに先立って汝南から張飛、伊籍で張飛隊に出陣させた。
かわいそうな孔ちゅうが許昌の30000のうち2万2000を率いて張飛隊を迎撃しに出陣した次のターンに潁川から本隊が計34000で出陣したら1ターンで落ちてしまった。
申し訳ないと思った。
とりあえず孔ちゅう軍の軍師だった許靖を登用した。
汝南と許昌を支配したので、豫洲の州牧になった。
申し訳なさがある。
この時点で深夜一時で目が限界を迎えたので寝ました。
三國志は序盤が一番楽しい気がする。
続く