司法試験後 時間使い方を見つめ直す

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「じゃあちょっとそこの軽トラをそっちの道にどかしてくんない」って言われたとき、うわぁついに来てしまったと思ったのである。

僕が車を運転するのに全く慣れていないことが露呈する瞬間である。

 

どうか運転を命ぜられませんように、と願いながらここまで過ごしていたのに、普通に命ぜられてしまった。

内心でうわぁと思いながらも命じられたことには機敏に動くように幼いときから教育されているので、しっかりと「はいっ」と返事をして、僕はささっと軽トラの運転席に乗り込んだのである。

 

 

 

 

 

 

現在帰省しており、実家のすぐ近くの農園でスイカのバイトをしてお世話になっております。

 

来年も司法試験受けることになった場合、受験料とか模試代とかまたまあまあかかるから、ある程度まとまったお金を稼いでおこうと思い、7月いっぱい実家にいてバイトをすることにしました。実家だと生活費もかからないし。

受かってたら北海道に蟹を食べに行きます。

 

 

朝5時から畑でスイカを収穫するので毎朝4時半起き、寝るのは毎晩9時過ぎという超健康的生活を送っております。

僕の車バック出来ない事件が起きたのは、お日様ものぼってよく晴れた、超健康的生活午前の部のスイカ畑においてであります。

 

 

 

 

田舎で軽トラとは当たり前のようにマニュアル車である。

今時MTなんて使わないぜ?という声をよく聞くけどそいつらはしょせんシティーボーイ風情である。

もっとも、ここで問題なのは免許を取るべきはオートマかマニュアルかなどではなく、僕が車をバックさせて一定のスペースに収めるという運転の基本的操作に著しい不安を覚えていることである。

オートマとかマニュアルとか以前の問題なのである。

 

しかしお邪魔させていただいているバイトの身分で、与えてもらった仕事を拒むわけにいかない。

それ以前に、一台の車を通すために邪魔になっている軽トラをちょっとどかすなどというのは、そこの醤油取って、とか、このノートなおしといて、とかいうレベルの、出来ないという答えを予想することがないほんの一瞬の作業なのである。

 

従業員の方は、もう一台の車にさっさと乗り込んで僕の移動させるのを待っている。もたもたしている場合ではない。

 

僕は全く問題ないぜ?という態度でキーを捻ってエンジンをつけ、何も問題ないんですけど?という態度でハンドブレーキを下ろしギアをバックに入れ、余裕なんですけど?という態度で運転席の窓から後ろを振り返ってクラッチの足を緩めつつアクセルを踏んだ。

 

 

 

ウォーン!!!

 

 

 

とはならないところはさすがの僕である。

 

しかしめっちゃそれっぽく窓から顔を出してバックしつつも、ハンドルを切るタイミングが不明である。

曲げたい角に後輪が来たら切ると習った気がするのでそこで一旦ブレーキを踏みハンドルを目一杯切って再びバックするのであるが、この時点で後輪が本当に角に来ていたのか、現在後輪がどこにあるのか把握していない。

 

軽トラを入れるべき畝と畝の間の道は細いので下手に入れると大事なスイカを踏み潰すし、なんだかこのままバックを進めたら左前輪が畑の端を流れる用水路に落ちそうな気もする。

 

山歩きの鉄則として、道がわからなくなりこのまま進むことに不安を覚えたときは、確実な地点まで戻ってみる、というものがある。

 

とりあえずギアを1に入れて車を元の位置に戻した。そして再度バックしてみた。

しかし何のイメージもせずに再挑戦しても結果は同じである。

山歩きで確実な地点まで戻ったあとに今度は別の道に迷うようなものである。

だいたい、車の車庫入れの調整に、元の位置までそっくり戻るという山歩きの鉄則は当てはまらない。

 

僕があまりにもたもたしているので、ついに従業員の方が車を降りてやって来た。

大丈夫?4駆入ってる?4駆のスイッチはこれ、と言ってくれるので、すみません4駆にしてませんでした、と答えるもののこの時点で4駆の問題などでないことを僕は理解している。

 

その後も相変わらず手こずり、後輪でスイカを踏み潰しそうになったところで再び従業員の方がやって来てスイカを救出した。

そして呆れた顔でついに誘導を始めてくれた。

しかしそれでも僕が思うように動かないので、大変もどかしいようである。

バイトの身分で迷惑をかけるわけにいかないという当初の思いはもはや、案の定、という形でしっかりと実現していた。

僕は25歳にして泣きそうになった。

 

進撃の巨人で、キース・シャーディス元調査兵団長が、団長としての自分の唯一の功績は自ら団長を退任することで無能なトップをすげ替えたことだけだと自嘲気味に語るシーンがあった。

出来ないことをみっともなく続けて他人に迷惑をかけるよりは、さっさとできる他人に替わってもらった方がいいのである。

 

そう思った僕は弱々しく、すみません、替わってくれませんか、と言った。

 

すると従業員の方は、いや、もうこれで停めていいよと言うので僕はギアをニュートラルに入れハンドブレーキを引きエンジンを切って力なく車を降りた。

そしてすごすごと他の従業員の方たちに混じってスイカの下にプラスチックの皿を敷いていく作業を始めた。

 

 

 

イカのつるを掻き分けながら僕はひたすら赤面していた。同時にやっちまったやっちまったと動揺していた。

軽トラのバックが出来ないところを晒したのである。

田舎社会で、車のバックが出来ないなどというものは、いい歳こいて無職でいることよりもあり得ないことである。

前にツイッターで「田舎で日常的に自転車に乗っている大人の男はちょっと足りない人という目で見られる」というツイートをきっかけに田舎車あるあるが盛んにリプライされているのを見たが、だいたいその通りだと思った。

田舎において、車の運転が出来ない男はヤバいのである。

そしてもちろん、都会では車がなくても余裕で生活できるし、学生だったら時々レンタカーで旅行するとき以外は車を運転する機会など無いのである、ということなど知らない。

レンタカー借りたときどうやって駐車してたかは忘れた。

 

今後僕は車の運転もできない男というレッテルを貼られるのである。

司法試験の話とかをして、すごいねとか言われても、(でも車の運転できないんだよね)と思われる。

今日暑いですね、と話しかけても、うん暑いね(君は車の運転できないけど)となる。

車の運転できない奴に嫁は来ない。

 

明日からどういう顔してバイトに向かえばいいのだろうか。

すみません、替わってくれませんか

とあんなか細い声は久し振りに出したと思う。

 

 

 

 

「司法試験後  時間  使い方」などというブログを書いている暇があれば車のバックを練習すべきだったのである。

男だけで脱衣麻雀をしている暇があったら車のバックを練習すべきだったのである。

司法試験が終わった5月20日に速攻で夜行バスで実家に帰り、次の日から実家のマニュアルのトラックでバックの練習に明け暮れるべきだったのである。

 

実際、車の運転の練習しといた方がいいな、というのはずっと前から懸案にしていたことなのである。

 

時間はあれだけあったのにな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

「時間はあれだけあったのにな」

 

今までの人生で何度この言葉を思ったであろうか。

 

人類が二足歩行を始めてから今日まで、どれだけの人間がこの言葉を思っただろうか。

 

 

 

 

司法試験が終わって2ヵ月弱ですが、今一度時間の使い方を見つめ直してみませんか。

 

 

 

「時間はあれだけあったのにな」

と、ひとり呟く時が来ないように。

 

 

 

 

というか今ってみんな何してるんですか。

 

相変わらずニートな生活をしている人はいるんでしょうか

 

いるなら車のバックの練習をした方がいい。

 

もしくは田舎に来て、都会で下宿する学生は車を運転できなくても仕方ないことを人々に理解してもらうキャンペーンを展開してください。

 

 

 

 

 

end