色落ちしないヘビーオンスのジーンズがほしい。
5年前、20歳の誕生日を迎えるに当たって僕は、二十歳記念にジーパンを作ろう!と考えました。
しっかりとしたヘビーオンスの丈夫なジーパンをオーダーメイドする、そうして世界で一つだけのその自分のジーパンを大切にいつまでも履く、いつか大人になってそのボロボロになったジーパンを眺めて、我が歴史ここにありとニヤニヤする、という素敵すぎる妄想が当時(20歳)の僕の頭を支配していたのです。
神戸花隈にオーダーメイドを扱っている服飾工房があるようだったので、満を持して、Googleマップの住所を頼りに訪ねていくと、花隈の静かな住宅街に小さな服飾工房がひっそりと看板を出していました。
当時、人を訪ねるときはアポイントをとる、という概念を持っていなかったため、僕は昼下がりの静かな仕事場に闖入した見知らぬガキでしかなかったのだけど、そこにいたお兄さんはミシンの手を止めて快く対応してくれました。
僕が「二十歳記念にあつらえてほしくて」と言うと、お兄さんは「20歳か~若いねぇ……まだまだ全然これからだね~」と言いながら、注文書の備考欄に「20歳記念!」と書き込んでくれました。
当時は、「まだまだこれから」?もう20歳なんですけど、と思っていましたが、今、将来がいまいち見えない身にとっては、「まだまだ全然これからだね~」以上の優しい言葉はないと思う。
~ 以上思い出 ~
履く前はこうでした。
出来たてです。
生地はなんだかんだ15オンスです。
しばらく履いたらこうなりました。
5年履いて今年の6月にはこうなりました。
色が、すっかり落ちました。
今までの5年間、僕の服装はほぼこのジーパンでした。
ロースクールに入って2Lの間はズボンを2本しか持っていなかったので、自慢のオーダーメイドジーパンを2日に一回履いていました。
しかし、いつしか色落ちしてから悩むようになりました。
というのは色落ちしたジーパンは、ちゃんと履かないとみすぼらしく映るのです。
僕は一時期白シャツを3枚持っていてほぼ毎日白シャツしか着ていなかったのだけど、これは特に白シャツが好きだったわけではなく、単に色落ちしたジーパンに合うように服を買ってたからです。
また僕はセーターは紺か白を買うことにしていたのですが、これも色落ちしたジーパンに合う色だからです。
ただ室内だけならいいんですが、冬になってコートを着るようになると、色落ちしたジーパンは寒々しさが増すのです。
また靴も下手にカジュアルなものを履くと、田舎の中学生みたいになるのです。
ちなみにこれは話が逸れるのですが、司法試験の会場で列はさんで隣の席のひとの服装が毎日色落ちしたジーパンに茶色いゴツいブーツに適当なシャツで、頭がアジカンのボーカルの人みたいなボサボサでメガネだったんですが、その人はなぜかめっちゃかっこよく見えてガン見しました
たぶん痩せてて長身だったから似合ったのだと思います
ロースクールという場所は勉強以外の余計なことを考えるのが非常に負担になるところなので、ロースクール時代は、毎朝何着るかとか考えるのはとても無駄な労力だと思っていました。
色落ちしてない濃い紺色のジーパンというのは何にでも合うので、色落ちさえしてなければなにも考えずにこれ履いていけるのにな、あーあと毎日思っていました。
僕はロースクールの間、勉強のことと同じぐらいジーパンの色落ちのことを考えていたと言っても過言ではないのです。
そして僕のこのジーパン色落ち沼に拍車をかけたのが、「ジーパンを色落ちさせる」「ジーパンを育てる」という大人の文化です。
勉強の合間によくGoogleで「ジーパン 色落ちさせたくない」など調べていたのですが、すると「ジーパンの上手な色落ちのさせ方!」とか出てくる
「ジーパン 育てたくない」と打つと、「ジーパンの上手な育て方!」とか出てくる
しまいには国産のヘビーオンスジーンズのメーカーでさえ、「色落ちに、とことんこだわった一品。」みたいに銘打ってジーパン作りやがるのです。
インターネットには大人の男たちによるジーパン色落ち自慢のブログがひしめき、ジーパンのいい色落ちを眺めながら酒を飲めてしまうとの言説が現れる
実際にはジーパン色落ちコンテストというのもあるんだって
盆栽みたいだなって思った。
僕はそんな紳士たちのたしなみをインターネットで眺めては、自習室でみんなが必死で勉強しているなか、「色落ちやめーや……やめーや!」とひとり唸っていた
こんな色落ちを称賛する文化があるから、僕みたいな色落ちで悩む青年が救われないではないか、と。
そうして僕は、昨今のジーパン業界はダメダメだ!と憤りはするものの、ジーパンにはジーパン検定なるものがあり専門家が存在する分野なため、こんな勉強の片手間に適当に情報集めてるだけのロー生がグダグタ言っても、日曜映画劇場しか観ない親父が年何百本も映画を観る評論家に講釈を垂れる図になるなと思って項垂れていた
僕がジーパンに感じる魅力はそのタフな作りであり、綿パンであることである。
綿という素材は履き込んでいくうちに形が身体に合わせて馴染む性質を持っているから、長く履けば履くほど愛着が湧く
そして丈夫である分、長く履ける。
色は落ちなくていい。
たぶんだけど、僕がジーパンの色落ちを、着る服の選択肢を狭める経年劣化と捉えるのに対し、世のジーパン紳士たちは、素材の表情が出る経年変化と捉えるのだろう
というかジーパン紳士たちからしたら、僕のジーパンのような真っ青な色落ちはそもそも色落ちの失敗作と見なすのかもしれない
でもでもでもジーパン紳士たちはジーパン上手に色落ちさせるために、あんまり洗わないとかいうことやるんだぜ
洗え。
衣類だぞ。
また今は昔と違ってジーパンの色落ちをさせない専用の洗剤もあるみたいです
でも何回もガシガシ履けるからこそのジーパンをお洒落着みたいに扱うのはアホらしいし、ジーパンだけ別で洗わなきゃいけないとか日々の洗濯がめんどい
このような感じで、そもそものジーパンの色落ちの仕組みとかを調べてはじゃあもう色落ちるじゃんと残念がったり、色落ちしない染料で染めるジーパンもあるとか無いとか、どこにあるんだとか調べたりしていた日々ですが、ふと、ジーパン染め直したらよくない?って考えを思い付いた。
要は僕は、丈夫な綿パンで履くほどに身体に馴染むものならいいんだから、色の問題さえ克服できれば全部解決じゃん、これはいいこと思い付いた。とウキウキしたのである。
これが司法試験終わって2週間後ぐらいの話である。
続く