令和元年司法試験の受験記

 

 二年目の司法試験を受験してきました。

 それなりに受かる自信をもって受けたのですが、終わってみた今では正直わかりません。さっき自習室の席を片づけてきました。短答も速報が出てるかと思いますが、怖くて答え合わせをしていません。これを書いたらすべてを忘れて漫画喫茶に逃亡する予定です。

 去年僕はF2つとE1つをとって30点足りず落ちました。しかし今年受験するころには、「去年と違って王道の勉強をきちんと重ねた今年、Fなんて取るわけないし取るとしても2つも3つも取らない、受かるわ。」と思っていました。3月の模試でそれなりの上位にいたのも一つの自信でした。

 本番一日目、公法2つともだめで吐きそうになりました。 

 結局こうなのか、と打ちひしがれて、帰ったホテルの部屋がめちゃくちゃ苦しかったです。すぐにやってくる明日、1つでさえもう無理なのに、3つも論文をこなす自分など全く想像することができず、かといって逃げ帰る選択肢もなく、体の内側からじわじわ恐怖が湧きあがってくるのに耐えるのが精いっぱいでした。狭いビジネスホテルの部屋のわずかしか開かない窓の外から流れ込んでくる大阪の街の喧騒をじっと睨みながら、司法試験とはかくもつらい、つらいものかと立ち尽くしていました。

 そうはいっても去年のくそみたいな公法の点は上回っているだろう、(去年は公法合計で66点しかなかったのです)、あとの科目でFさえとらなければ、勝てる、と思って臨んだ二日目の民訴ですが、くそみたいにノータッチの管轄とくそみたいにノータッチの文書提出義務が、こんにちはと言ってきました。構想の見えてこない答案構成用紙を前に全身の毛穴という毛穴から冷たいものが噴出しました。二浪、というワードが頭の中にちらつき始めて本気の恐怖に駆られよくわからない作文を必死で書きました。

 刑事系もなんかもうよくわかりません。ついに刑訴でも学説対立が問われました。学説を知っていなければ書けない時代に入っているのかよと思いました。

 短答は「なんか釈然としないけど他は間違ってる気がするし、しゃーなし〇にするか…」というのがまあまああって不安です。もはやはがき来るまで待つかもしれません。

 

 今回、試験期間ずっと思っていたのは、これを1年で合格していった元同級生たちのすごさです。本当に偉大だと感じました。

 去年の僕は受験前から受かると思っていませんでした。去年は友人2人と試験前日ホテルまで電車に揺られながら、来年はこれに一人で乗っているんだろうなと考えていました。去年の朝食はM山君という友人と食べていたのですが、隣のテーブルで一人で食べていた受験生らしき人を見て来年はあの人のように一人で食べているのだろうと考えていました。だから緊張もせず精神的な辛さも知りませんでした。

 でも今年、去年の友人たちのように、ちゃんと受かりたいと思って受けた司法試験は本当にしんどかったです。朝食も吐き気でそんなに食べられなかったです。去年は余裕で決めていた食後のコーヒーなどマジモンの無理でした。

 もう受けたくないのですが、落ちてたらまた受けます。

 

その他

平成31年司法試験かと思っていたら令和元年司法試験だった。

・監督員の人が服装はスーツなのに靴はスニーカーというちぐはぐな恰好をしていてなんでだろうと思っていたら、足音に配慮しているからでは、との指摘を受けなるほどと思った。優しいなあと思った。

・青の封緘シールが今年もうまく破れない。

・夜ごはん普通に生卵とか鉄火丼とか食べてた。こうして文章にしてみたらアホだなと思った。

 

 浪人生活を通して価値観や考え方が大きく変わったと思います。受験が始まるまでは「浪人したのは無駄ではあったけど、無駄でしかないということはないよなあ」などと考えていました。しかし今となってはあれをまた受験することを考えるとマジでもう無理です。

  感謝したいのは、後輩たちが自習室に快く修了生用の席を作ってくれたことです。自習室でじゃなきゃここまで勉強できていなかったと思います。そして何より一緒に勉強してくれた友人がいたことです。友人の存在は受験の上で不可欠だったと思います。一人では確実にここまで勉強できていませんでした。

 去年、BやCを揃えてヌルンと受かっていったM君の受かり方は改めて最強だなと思いました。 

 

 以上です。漫画喫茶に行ってきます。

 

 

5月21日追記

 速報で短答の答え合わせしたら133点でマークミスさえなければ多分足切り回避出来ました。

 刑法憲法がかなり低かったですが、やっぱり難しかったようです。

 しばらく休んだら改正民法でも勉強しようと思います。