今年の司法試験後の生活

 

 以下は、試験後、金はないがまとまったバイトをする気もないので勉強しながら興味のある分野の本を読んで過ごしている、という僕のごく個人的な生活を暇に任せて書いたものです。

 

 

 5月末~6月中旬

 試験の数日後、祖父が危篤との知らせが母から届いたので、1日だけこちらでぶらぶらしてその翌日、関東行きのめったに使わぬ新幹線なんぞに飛び乗り祖父の入院する病院に駆け付けた。

 数日後に祖父は亡くなったので、通夜や葬儀の準備で忙しくなった。特に祖父の家は田舎の旧い家だったので、様々なしきたりやら弔問の客の応対やらなんやらでここから数日間はバタバタすることが予想された。半分身内であり半分部外者でもある孫の僕は、祖母や母たちにとっても使い勝手の良い雑用になるだろうと考え万全の心構えで臨んでいたのだが、とくに用はなかったようである。ひたすら毎日『キングダム』を読んでアツくなっているうちにいつのまにか兄やら弟やら親族が集まってきていて、気づいたら葬儀が終わっていた。

 葬儀後の諸々の精算を終えて区切りがついたら、無駄に広い家の中で祖母は急に一人きりになり、がっくり来てしまうのではないかと皆が心配した。しかしそもそも僕はそれを見越してやって来たのである。無職の特権を活かして、そのまま祖母の家にしばらく滞在するというと、皆安心した顔で口々によろしく頼むよと言った。

 夕食ごとに祖母は、僕がいてくれるおかげで夕飯を作るのに張り合いがある、と言うので、無職でよかったと思った。他にも一日おきに家の裏の無駄に広い竹藪で伸びてしまう前の竹の子を取り除いたり祖父の介護用品の引き取りをリサイクル業者に手配したりしたりしながら、やたら時間の濃度が低い祖母の家で脳が溶けていくのを感じていた。

 祖父が亡くなったことになんも感じてないように書いてしまったが、僕の出る幕ではないなと感じていた。祖父が亡くなった日、息を引き取ったばかりの祖父の周りには、僕以外は祖母と母、伯母叔父のかつての祖父の家族が駆け付けたのであるが、母らの祖父を見つめる顔を盗み見るにつけ、在りし日の家庭の思い出を持つ母らとそれより後に生まれた孫にすぎない僕とは共有しているものの多さがあまりに違うことがすぐにわかったので、僕は一歩下がったところで立っていた。
 後から聞いた話だと、僕の試験前に亡くなった場合は、試験が終わるまでは僕に知らせないつもりだったという。「おいおい、たかが司法試験にそこまでしてくれる必要ないぜ」と言いそうになったが、めちゃくちゃしんどい試験だったことを思い出して素直に感謝しておいた。

 

6月下旬~現在 

 6月の下旬にさしかかるころ帰ってきた。去年のこの時期からは薄給の肉体労働ばかりしていて自尊心が著しく低下していたので(下記リンク参照)、今年こそはサマクラなり事務所でバイトするなり、知的労働にいそしもうと考えていたのである。そのためにわざわざ神戸に戻ってくる予定を設定してしまっていた。

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 しかし、履歴書は書くことができなかったのである。ひたすら社会と断絶された浪人生活をしていたせいである。山の中にある大学の自習室と、これまた山の中にある下宿の往復をするばかりでめったに下界に降りず、新聞も読まず、特定の人としか会話せず、受験勉強だけをしていた。今さら法曹になろうと思った動機やら自己PRなんぞ書けないばかりか、何を書いても弁護士の先生に怒られそうな気がする。

 エクスターンで弁護士の業務を内側から見せてもらったり、去年スイカ農園で雇ってもらって社長にスイカの受粉という大事な業務の指導をされたりしたとき、思ったけど、社会人は容赦なく社会人の目でこちらを見てくるのである。当たり前である、生きるために金を稼いでんのである。「僕、ちょっとお金が欲しいんだな~~」なんて気持ちでいったら殺されそうである。そもそも浪人生ってサマクラ行けんのか謎である。書いては消して、パソコンを閉じてはそのまま畳の上にひっくり返りながら思った。無職が自尊心をなくしたら終わりである。進むのに掴まるものがないからである。

 そんなわけでなんの目的もなく帰ってきてしまった日、彼女と会ったのだけど会話の中で「結婚するには貯金があることが絶対条件」というワードが初めて出現し、僕に密かに衝撃を与えた。彼女は次の日に長期の住み込みバイトに行ってしまったので、僕はさっそく東急ハンズで金銭出納帳を買ってきて己の財政状況を明らかにしたところ、貯金どころか次の仕送りまでの20数日を一日600円で過ごさなければ生きてさえいけないことが判明した。

 金もない目的もない、身動きのとれなさを感じて下宿先のフローリングの床の上で両肩甲骨を床にぴったりとつけて仰向きに横たわって蛍光灯を見つめていたら次の日風邪を引いて寝込んだ。

 昼下がりのラジオを聴きながら考えたのだけど、無職無職と面白おかしく言ってはいるが、結果発表までの必要な期間である。司法試験に受かればまた勉強が必要になるし、受からなければさらにまた勉強が必要になる。貯金をする一番の方法はまず受かって職に就くことだとすれば、勉強の習慣を維持することが必要である。ついでに法律以外の分野で読みたい本がたくさんある。新聞も読まなければならない。

 そういうわけで大学の図書館は最高である。風邪を治した僕は、のんびり起きて朝飯を食ったらのそのそと図書館へ出かけていき新聞に目を通したら改正法の勉強をちょっとし、あとは適当に本を読んでいる。アクティブ系ニートである。そして日々の収支は1円単位で金銭出納帳で管理している。

 新聞について。これは読んだ方がいいなと改めて感じた。社会で日々生起している出来事について、興味の有無問わず広く目を通しておくことは、自分の明るくない分野について触れざるを得ないときにどの程度具体的にそれを頭の中にイメージできるかに関わってくるな、と感じた。憲法行政法が苦手なわけが何となくわかった気がする。

 読んでいる本について。興味ある分野はたくさんあるのだけど結局一番好きなのが三国志をはじめとする古代中国史なので、気づいたらそればかり読んでいる。大学時代の友人に「どんな分野でも専門書を10冊読めばその分野の専門家になれる」という理論の下、恋愛心理学の本を10冊読んで恋愛専門家を自称している奴がいたけど、膨大な数の背表紙が並ぶ大学図書館の開架を歩いていると、その理論の当否はともあれ10冊という数で区切ってくれるのはある意味安心感がある。

 改正法について。とりあえずとっつきやすそうな債権各論分野について、潮見イエローを読みながらTKCの修了生サポートシステムに年会費を払って基礎力確認テストをちょいちょいやっている。
 当初は「判例法理を明文化しただけでしょ」と高をくくっていたのだけど、大小問わずけっこう広く改正されていて、「新時代の民法作ったる」という先生方の強い意志を感じる(気がする)。さらに家族法も改正されるのであればこれは手当てしておかなければ来年も受けることになったとき短答が壊滅すると思う。

 精神の安定を図る程度の金を得ようと思って自尊心を失わない系のバイトを探したらそれなりにいいのが見つかったので、当面の精神面と食費について事なきを得た。

 ここまで読んでみたらまるで救いようのないニートみたいな筆者像が浮かんできたが、僕はもともと自虐的に自己を表現するきらいがあるだけで、本当のところはもう少し楽しんで生きている。『凪のお暇』の真似をして朝起きたら緑茶を一杯飲んで、そのティーバッグでシンクをこするので、シンクは常にピカピカである。自炊もしている。みそ汁の出汁は煮干しからとる。

 短答の結果が帰ってきたら自己採点より6点も上がっていた。喜ぶと同時にこれで落ちてしまっていたら果たして立ち直れるのか、しばらくは寝込んでしまうと思う。