ゼットゼットブログ

ロースクール既修卒で司法試験の受験生です。長野県出身です。

他人に優しい君へ


 浪人したことをきっかけにだいぶアイデンティティーが崩壊したと思う。

 勉強のやり方が完全に間違っていたと気付いたのをきっかけに、今までの人生で僕が正しいと考えていたことがことごとく、「よく考えたらどうでもいいな」と根拠をなくしていった気がする。だからついに先日、『じぶん・この不思議な存在』を買ってしまった。某フリマアプリで。


 その本の状態について、「未使用に近い」と設定されていたのだけど、購入ボタンを押してしばらくすると発送者から「よく見たら書き込みありました、大丈夫ですか?」と連絡が来た。「特に気にしないので大丈夫です」と返して送られてきた『じぶん・この不思議な存在』、死ぬほど書き込みあった。赤いボールペンで    やたらめったらに引かれた傍線や、○や△で囲まれた接続詞、大事だと判断したのだろうセンテンスには☆印、ページの余白には「化粧しつれい」「(別の自分が存在していた?)」などの注(注と呼べるほどたいしたものではない)が上手くも下手でもない字で書き込まれている。
 多分高校か大学の課題図書だったんだろうなと想像した。
 本と一緒に手紙が入っていた。書き込みに気付かず出品してしまったことを侘びる旨が一生懸命書いてあった。


 この某フリマアプリは、取引終了後に、互いに相手を評価し合う。良い・普通・悪いのボタンがあり、どれかを押してあげるのである。コメントを付すこともできる。相手から受けたその評価とコメントは以後自分のページで公開され、そのまま自分の信用度を表すステータスとなる。
 実をいうと今回の『じぶん・この不思議な存在』、書き込みだけでなく1度濡れた痕もありページがなみなみでカピカピである。なんなら思いっきりコーヒーこぼした跡もある。未使用に近いという設定からしたらうんこみたいな状態の商品である。

 でも、手書きの手紙がついている。


 インターネットが発達して、リアルに対するバーチャルの世界の占める割合も大きくなってきたと思う。スマホでさっさと処理していくフリマアプリの取引相手なんて、顔も見えないし自分の人生に関わることもない。本当に人かどうかもわからない。態度が悪ければちょっとイラッてくるだけの存在にすぎない。しかしそういったバーチャルな世界の一片にすぎないと思っていた相手から、ふと手書きの手紙という、その人個人の存在がいやがおうにも立ち上るものが突然投げ込まれると、どうだろうか。頭は急激にリアルな世界に立ち返る。

 手紙の質感。スマートでクリアな画面の見やすく画一的なフォントに慣れたこの頃、手紙は選んだ便箋の手触り、インクの色、筆跡、どの部分からもその書き手個人のたしかな存在を意識せざるを得ない。文をしたためる所作を経て伝達されるのは、文字による情報にとどまるものではないのである。これを受け取り思ってしまうのは、結局こういうリアルなものが一番安心するな、ということである。

 そうするともう、カピカピでなみなみのページも、コーヒーの跡も気にならない。書き込みも全然許容できる。結局人は心なのである。
 だから僕は、責めるつもり、ないですよという意味を込めて、「書き込みがあるということでしたが、よく読まれたということでこちらも大切に読ませていただきます。」とコメントし、good評価を押しておいた。たしかにその人の信用度を参考にするだろう今後のその人との取引相手には迷惑な話だろう。しかし、商品の状態に見合う評価をつけなければならないという義務はない。裁量はこちらにある。そして商品の状態以外に、相手の心遣いを評価の対象にしてはいけないという決まりもないはずである(規約を確認したわけではないけど)。それに、あの手紙の書き方からすれば、今後は気をつけてくれるに違いない。今回はまだ初心者なのだから。今後気持ちの良い取引を重ねていってくれたら、それで良い。


 後日、その人の出品ページをなんとなく見てみると、取引回数が3に増えていた。そしてその新しい取引相手に酷評されていた。

 「『未使用』ってあったからあの値段で買ったのに、破れており、使用感があり、とてもショックで残念です。」

 対抗するようにその人のプロフィール欄の自己紹介が更新されていた。

 「先日の取引で、新品未使用にもかかわらず使用感があったという書き込みがありましたが、こちらから確認の連絡をしたのに返事がなく、非常に不快な取引でした。気になることがあればなんでも気軽に質問してください」

 僕以外の人にもボロい本が売られていたらしい。

 平均評価を一気に下げた辛辣なコメントと自己紹介欄での応酬。いい人ぶった僕のコメントがアホみたいに浮いている。
 僕はなんだかとても恥ずかしい気分になった。
 「やっぱメ○カリってくそだわ」とそっとアプリを閉じた。


 本当にくそなのは僕である。僕は気付いていたのである。あんな紳士ぶったコメントを書いたのは手紙に感動したからなんかではないことを。

 付けた評価とコメントはそのままずっと公開され残り続ける。僕がもし低い評価と出品者を非難するコメントを書いたとして、僕が他人を批判したという事実がそのままずっと残り続けるのである。それが単純に嫌なだけだったのである。そして何より、粗悪な状態の商品を掴んでしまったこと、損してしまったことを認めれば自分がかわいそうだから、なんとか正当化したかっただけなのである。そうして、「届いたのはボロい本だけど、良い取引だった!」と自分を誤魔化していたのである。
 しかし、はっきりと低評価をつけた新たな取引相手の出現により僕の作った虚構は暴かれ、僕は哀れな自分に向き合わざるをえない。登場人物全員がくそである。誰も幸せじゃない。そして低評価を押した人は別にくそではない。

 

  他人の落ち度を許してあげる行為は、一般的には「優しい」行為のカテゴリーに分類できるだろう。「いいよいいよ、気にすんな」と言ってくれる人を「ああ優しい人だなあ」と思ってしまう気がする。ただ、一般に優しいと言われている行為が、純粋に相手のことを想った行為であるとは限らない。

 もっともそんなことは今さら大発見のように取り立てていうものでもなく、大体の人がわかっていることだと思う。ただ、気を付けた方がいいなと思ったのは、自分がした行為について、本当はどういう意味でしたのかを自分できちんと把握しておかなければ、いつの間にか自分でもその表面に騙されて、ふとしたときに予想外のダメージを受けることになるということである。他人に騙されるより自分に騙される方が、感じる虚しさと恥ずかしさは大きいものであるなあと、そのコーヒーこぼしたあとを見ながら思った。

 


 『じぶん・この不思議な存在』をはじめとした多くの評論文を高校の現代文で読んだものだけど、当時は接続詞とか段落ごとの関係とか気を付けながら評論文を読むたびに、こんな「まあ言われてみればそうかね」としか思えない事柄について小難しくごちゃごちゃ書いて、しかもいい歳した大人が、この人たちは何者なのか、暇なのかな、と不思議で仕方なかった。
 大学に入りいつしか自ら新書とか求めるようになり、はしがきから最後の章まで読むようになると、さすがに高校時代のあんな一部だけが切り取られて提示された文章ではなにも伝わらないのも当然だと思うようになった。ちゃんと読んでみると、いろんな視点や考え方があるものだなあと面白くなる。
 今、高校生の僕に「結局現代文書いてる人は何をしたいの」と聞かれたらこう答える気がする。「まあ言ったら好き勝手ブログ書いてるみたいなもんでしょ、お前ブログ書いたことある?楽しいよ。」
 ブログにしろ本にしろ、誰かが何かを発信したくて書いた文章は面白い(ひどいものもよくあるけど)。早く受験終わらせて、ぶんせき本の参考答案以外の文章を落ち着いて読みたいものだと思ってブログを更新してみました。

 長々と読んでくださり、ありがとうございました。

 

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

 

 


 

18オンス藍染デニム 児島ジーンズRNB108-ONI

ジーパン買いました。

 司法試験を浪人した結果私服を着る期間が一年延びたので、ジーパンを買いました。


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142504j:image


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142608j:image

児島ジーンズのRNB108-ONIといいます。18オンスです。

画質がアレで変なうねうねが入ってしまいました。

 
f:id:ichijikaidekaeru:20181222142532j:image

 
f:id:ichijikaidekaeru:20181222142541j:image

 

 

 合格発表から一月ほど経った頃、やっぱジーパン欲しいな・・・と思い立った僕は、スマフォのカレンダーを開き、1か月後の日にちに「ジーパン買う?」と記入しました。

 

 一か月後、たまたま日付が変わる時刻まで起きていたのですが、0時となるとともにスマふぉの画面に「ジーパン買う?」と一か月前の自分から問いかけが表示されました。

 ジーパン買う決意は依然失われていなかったどころか、この一か月というもの「ジーパンほしいわ」という思いが強くなるばかりだったので、僕は「もちろん」と答えました(心の中で)。

  このように、高い買い物をする場合に一か月熟考するシステムを「一か月熟考システム」と呼び、今後の運用に期待が寄せられています。

 

 さらに一週間後、満を持して元町の高架下にある児島ジーンズを売っている店に出かけていきました。 

 そこで買ったのが、藍染めという少し趣向が変わったジーンズです。

 児島ジーンズの入荷の有無をしつこく電話で尋ねるたびに丁寧に対応してくれた店主が、こんなのがあるんですよ、と勧めてくれました。企画のジーンズらしくて、児島ジーンズを扱う店でも、全国で4店ぐらいにしか卸してないし、店頭のが終わったらもう無いらしいのです。

 糸の芯まで染まっているので、普通のインディゴ染のデニムのように白い色落ちをしないという特徴があります。

  以前僕は、色落ちのしないヘヴィーオンスのジーンズが欲しいという記事を書いたことがあるのですが、なんとここで色落ちしないヘヴィオンスのジーンズを手に入れることができたのです。(厳密にいうと青く濁った色落ちをするらしい)。

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 

糊を落とすぞ!

 穿く前に糊を落とすという作業が必要になります。

 ジーパンを作る過程で、糊付けという加工がされています。強度を付け、安定させるために、デニム生地は糸の段階と織布された段階で糊付けがされるのです。

 糊を落とさず穿くことを推奨するジーンズブランドもありますが、児島ジーンズというブランドでは、糊を落としてから穿くことを推奨しています。一緒に貰った児島ジーンズの冊子に書いてあるのですが、「各メーカーによってデニムの色落ち論には拘りがある」そうです。まことに面倒な世界だなと思います。

 糊を落とすのはなんでなんですか。と店主に聞いたら、糊を落としていない状態は、デニム生地の目がまだ詰まっていない状態であるため、ここに皮脂や埃等の汚れが入り込むと、いかに18オンスという頑強な生地であっても、傷んで簡単に破れてしまうのだそうです。したがって、糊を落として目を詰めるという作業が必要なのだそうです。買ってウキウキしてさあ穿こうということにならないのが、まことにジーパンの面白いところです。こちとら1か月と1週間、購入を座して待機していたのですが、その気持ちを抑えて、仕方ないなあと糊落としをします。

 という話を後日友人にしたら、なんで糊ついたまま売るん?と至極当然の質問をされました。

 おそらく、ジーンズ好きにとっては糊落としからもう楽しみが始まっているのだろうと答えましたが、なんだか自分もそんなマニアックなおっさんたちの仲間入りをするのかと思うと気が引けたので、「・・・まあ、消費者にさせればメーカーにとっても糊落としのコストを抑えられるからね」とわりと納得を得られそうな回答を付すことでバランスを保ちました。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142640j:image

 40度のお湯で20分浸けます。

 児島ジーンズの公式では2時間とあるけど、店主が言うには20分でいいらしいです。2時間浸けるなら半日つけるべき、らしい。


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142652j:image

 20分経ったらざばあと出して、洗濯機で、洗い、すすぎ、脱水をします。

 洗剤は入れずすすぎも一回です。

 店主が言うには、さっき溶けた糊をここで完全に落とすらしいです。

 
f:id:ichijikaidekaeru:20181222142702j:image

わりと色が落ちた

 
f:id:ichijikaidekaeru:20181222142712j:image

 陰干しです。乾くのに2日かかりました。


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142722j:image

まあまあ縮んだ

 

 店主が言うには、ちょっと履いたらまた洗濯して、そこでようやく生地が落ち着くらしいです。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142750j:image

 5日履いて洗濯しました。

 おしゃれ着洗いで洗濯機で普通に洗い、すすぎ、脱水。 

 これでようやく買った後すべき作業が終わりました。あとはガンガン穿いて、ジャブジャブ洗って、今度は5年以上穿きたいです。

 裾上げもしたいところですが、バイクに乗るときは折っていた裾を出すと丁度いいのでしばらく放置しておきます。

 

 

 

 問題なのは、洗濯で縮む幅を読み間違えて、ウエストがめちゃくちゃ緩いことです。
f:id:ichijikaidekaeru:20181222142806j:image

 

 そこで、コインランドリーへ出掛けていき乾燥機で強制的に縮めました。

 高温で40分回しました。一緒に数枚バスタオルを入れてジーンズが乾燥機との摩擦で傷むのを軽減することを図りました。ついでに洗って脱水しといたウルトラライトダウンも一緒に20分回したのですが、張りが戻って新品みたいになりました。

 日曜日、登校前に行ったのですが、日曜の朝のコインランドリーでゴウンゴウンと回る乾燥機をぼーっと眺めている時間ほど平和な時間はないです。

 

 いい感じに縮みましたが、数日穿いたらまた伸びました。まあ今は一日座りっぱなしの生活なので、身体への負担がなくて楽といえば楽です。

 いざとなったら仕立て屋に頼んで幅を詰めてもらいます。 

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142824j:image


 1ヶ月半穿きました。これは洗濯後です。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142854j:image


f:id:ichijikaidekaeru:20181222142843j:image

 

 ベルトでぎゅうぎゅうに締めて穿いてるのでウエストがしわしわです。

 藍染めのジーパンの色落ちを紹介しているブログはあんまり見当たらないので、穿きこんだときどんなふうになるのか楽しみにしています。

 

 

12月31日

 12月も深まるにつれ司法試験浪人も深まる。

 答案書いて採点実感読んで復習していや今日は頑張ったわと満足したり、友人にしてもらった答案の添削を読んで撃沈したり、残りの日数と終わっていない範囲の多さにふと気付いて愕然としたり、短答もやらな…やらななぁ…と思いながら後回しになっていったり、どう?頑張ってる?と聞かれる度に、まあ、ぼちぼちです、と答えたりしております。

 陽の短いこの時期の午後4時から6時ぐらいの夕方というものはまことに不安定な時間でございましてやばいぞこれはこれはこれはおいおいおいおいおいあかんあかんあかんぞという回路に陥るときはこの時間です。衝動的に外に出てしまうので上着もしっかり着ないからとても寒い。緑の多いうちの大学はグリーンウォークにはもってこいで特に僕はグラウンドに向かう坂道が昔から好きなんだけど、とりあえず寒いし縮こまって下見て歩いてるからコンクリートの灰色ばかりに親しむそれはシルバーウォークである(背中を丸めた老人のようであることも掛かっている)。

 そんなときにも穿いているこのジーパン、泣こうが喚こうが寒かろうが毎日毎日座って立って歩いて穿いた分だけのシワを日々淡々と刻んで黙っているのを見るにつけ、浪人生活の精神的支柱になっていることは間違いないなと思う。

 

 

 

 

(追記 上手いこと言ったつもりだったけど灰色はグレーである。シルバーは銀である。ではよいお年を。)

 

トイレ掃除をする。夢をかなえるゾウ

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 

 

トイレ掃除をする 12月13日

「トイレを掃除する、ちゅうことはやな、一番汚いところを掃除するっちゅうことや。そんなもん誰かて、やりたないやろ。けどな。人がやりたがらんことやるからこそ、それが一番喜ばれるんや。一番人に頼みたいことやから、そこに価値が生まれるんや。」

『夢をかなえるゾウ』P.70

 

 トイレ掃除ぐらい自己啓発本ごときに言われなくてもやっている。だからいつものごとく掃除した。水回りついでに台所の流しも掃除しておいた。重曹をお湯に溶かして絞った布巾でするするとこすって翌朝見ると、ショウルームのキッチンのようにピカピカであるよ。重曹はドラッグストアに売ってるよ。

 トイレについて。今まで訪れた下宿のなかでトイレがきれいだった友人、すぐ二人思い浮かんだけど、確かに二人とも穏やかな性格で、言葉を丁寧に扱って話し、他方で芯の強さも秘めているというそれはもう人間的魅力にあふれている人たちである。また、本書によると世界の大富豪の共通点はトイレがピッカピカであることなんだそうである。

 世の中では、トイレ掃除にとても力を入れている飲食店や、団体など、時折見聞する。トイレの清潔さと、人の魅力や人生の成功との関連性というものは、少なくとも無碍に否定すべきものではないのかもしれない。

 一方、トイレ掃除トイレ掃除と崇め奉ることには、胡散臭さを感じる。僕の脳内には先ほどから、昔いた、トイレ掃除に情熱を傾けることで有名だった、そして生徒からあまり人気を集めるタイプではなかったある先生の顔が浮かんでいる。

 この先生は、僕たちが入学したばかりの春のオリエンテーションで、学年の前で初っ端からぶちギレた。曰く、「私がトイレを掃除しているにもかかわらず、平気で入ってきて用を足していく生徒がいる。無神経にも程がある。君達は本当に○○(学校名が入る)の生徒か。云々。」

 これは確かにもっともな言い分だと思い、以来、サービスエリアや大学の構内のトイレ、トイレに限らず通路や階段等を掃除している人がいるときはできる限り避けるか一声かけるようにしている。

 しかし、その先生に関しては、その後も一生懸命にトイレを掃除している姿をよく目にしたが、なんとなく胡散臭さが拭えなかった。なぜかいつも黄ばんでいる白衣、油脂を感じさせるまとまりのない髪の毛、出ている腹、そして人を見下した話し方のせいだったと思う。

 トイレが綺麗な人が成功しているあるいは魅力があるのだとして、思うに、トイレという一番汚い場所でさえ綺麗なのだから、また一番触れたくない場所にさえ気が回っているのだから、他の部分は言わずもがな、という良い推定が働くのではないか。

 その先生は不潔な格好と好かれない態度によりその推定を破った。推定が働かなければ本来「トイレ=汚い」のだから、必要以上にトイレへの執着を見せることはもうマイナスの方向にしか働かないのではないか。

 そういうわけでトイレを綺麗に保つことは大切だとは思うが、これを目的としてしまったら最後、身につけた白衣が黄ばむ一方となるのではないかと恐れを抱いている。

 

 

まっすぐ帰宅する 12月14日

「会社終わったら自由やから遊んでええっちゅうわけやないんやで。むしろ逆やで。会社終わったあとの自由な時間ちゅうのはな、自分がこれから成功していくために『自由に使える一番大切な時間』なんや。」

『夢をかなえるゾウ』P.79

 

 社会人は会社を終えてようやく自分の時間を使えるのだとしたら、自分のためだけに一日を自由に使えるというのはすごいことなのかも知れないな。でもそれでも時間マジで足りないな。本番まであと半年ってなってからの半年ほど早く過ぎるものはないな。僕の母親は「あと10分…」ってスヌーズ設定してからの10分ほど早く過ぎるものはないって昔言っていた。

 まっすぐ帰宅する他ない生活を送っているのだけど、本書が言いたいのは、一日終えてからの時間を無駄にしてよいというわけではないということだろう。一日自由に使える僕たちは、明日も集中できるよう調えるのに時間を使えということかな。少なくとも、特にリフレッシュする目的もなく無駄にYouTube観るなということだと思う。

 今日はダウンタウンの若い時の漫才を観てやっぱ松本人志ってすごいんだなと感心してそのすごいなって気分のままさっさと風呂入ればよかったのに、続けて特にリフレッシュする目的もなく『モテる男性のLINEテクニック5選』という動画を目に入るままに観た。

 飽きやすく移り気な現代人のためにこれでもかというほどサクサク進み、絶対最後まで観させるという執念を感じた。「内容がいかに薄っぺらくてもサクサク進んどけばだいたい満足っしょ、こいつら」と誰かが言っている気がした。LINEの相手が20分後に5行の返事をしてきたら、こっちは30分後に4行程度で返すべきらしい。メッセージ送るときは、相手の名前も入れるべきらしい。例:「こんにちは。」→「○○さん、こんにちは。」

 世の中には、「鉄板!メンズ冬コーデ」とか「○○行ったら絶対抑えておきたいオススメスポットbest5!」とか親切に教えてくれる人がいるものだけど、まあ旅行先のオススメスポットはたしかに教えて貰わなきゃわからないからいいとして、コミュニケーションの取り方とか服装とか、本来は各人が自分で考えて経験して身につけなければならない身体性の高い事項についてまで、誰が作ったのかわからないものがネットに垂れ流されていて、しかもおそらくアフィリエイトが目的で、にもかかわらずまんま真に受けて実践するやつもいるのだろうかと思うと、怖くないですか。その人自身はどこにいるの?って思う。『おやすみプンプン』という漫画で主人公が途中から自身を見失う展開があって、そこから最後まで狂気だった。

 内容は確かに必ずしも間違ってはいないと思う。今日の『モテる男性のLINEテクニック5選』、後で知人女性に「こういう動画観ました」ってテクニックの内容を言ったら、「狙ってやってるんだったら嫌だね」という反応だった。自然にやる分にはそれなりに有効ということだろう。5行もかけてくれた返信にスタンプ一つとか、即レスで10行とか、確かにやられたら困惑するもんね、要は空気読めってことだよね、という至極当たり前の結論に至った。

 「鉄板!メンズ冬コーデ」とかそういうのは、その読むべき空気がずれていないか時々確認する目安として役立てるにとどめるものじゃないかなと思います。考えずに、これやっとけば正解、みたいに手っ取り早い解決ばかり身につける人が増えたら、怖いなと思う。いざとなればマスコミや政治家やそういう声の大きな存在によって簡単に操られそうだし、そんな中身スカスカの人間ばかりの世の中、何もかもが薄っぺらくなっていきそう。それにそういうごちゃごちゃ頭を使うことを放棄させて代わりにこれが正解ですよって差し出されているものがあるシーンでは、だいたい金の臭いがしている気がする。

 

 

食事を腹八分で抑える。夢をかなえるゾウ 

 

『夢をかなえるゾウ』という自己啓発本を実践してみようという名目で、寝る前の2,30分その日の出来事を書き連ねてストレスを解消しています。

 

前回

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 

 

食事を腹八分でおさえる  12月9日

「ま、腹八分はささいなことに見えるかも分からんけど、これ、今日からずっとやってみ。食べたいと思ても腹八分で必ずおさえるんや。そうやって自分で自分をコントロールすることが楽しめるようになったら、生活変わってくるで」

『夢をかなえるゾウ』P.43

 

 バイト終えてラーメン屋に寄った。寒かったしなんだか疲れていた。バイト先でお世話になっている方から美味しいパン屋さんのパンを貰って今日もお世話になった。パンとコーヒーで夕食とすることも考えたが、寒かったしなんだか疲れている身にはひたすらラーメンが食べたかった。

 コートを脱ぐ前に注文し、モタモタとコートを脱ぎカウンターの席についた。(マナー違反)

 夕飯にはまだ早い時間で店内は空いていたので、左隣の席に畳んだコートを置いた。しばらくしてそのコートの左隣の席におっさんが座った。僕は万が一にも知らないおっさんのラーメンのすすり汁がコートに飛ぶことを恐れた。コートをどこかにしまおうかとキョロキョロとしていたら、席一つ空けて右側に座っていた別のおっさん夫婦が親切にも「ここいいよ!」とおっさん(夫)と僕の間の席にコートを置いていい旨告げてくれる。ありがとうございますと言って置かせてもらうと、夫おっさんはすかさず「無くなってもしらんでえ」とニヤッと笑い奥さんが「なに言うてるん」とつっこんだ。関西に来てカルチャーショックだったことは様々あるが、見知らぬ相手にも軽快にギャグを飛ばしてこちらの申し訳なさを自然と吹き飛ばしてくれる、とても気持ちのいい人柄もその一つだ。もっとも僕は万が一にもその夫おっさんのラーメンのすすり汁がコートに飛ばないように注文したラーメンを急いで食うはめになった。注文したラーメン大盛温玉ご飯セットとサービスの餃子を。

   界隈ではタブー中のタブーとされるダブル炭水化物が目の前に置かれて初めて腹八分の目標を思い出した。本日もあわや遂行不可能かと思いきや、食べ終わった腹の感覚はちょうど八分目であった。

 

  後に気付いたので書き足すが、結果的に腹八分にすんだとしても、注文時点で腹八分で押さえられるか定かでない量のメニューを頼んでいる以上、自分をコントロールできていない。目標不達成である。

 

 

人が欲しがっているものを先取りする 12月10日

「つまり、こういうことが言えるわな。『ビジネスの得意なやつは、人の欲を満たすことが得意なやつ』てな。人にはどんな欲があって、何を望んでいるか 、そのことを見抜けるやつ、世の中の人たちが何を求めているかがわかるやつは、事業始めてもうまくいく。上司の欲が分かっているやつはそれだけ早く出世する」

『夢をかなえるゾウ』P.50

 

 月5回ほどバイトをさせてもらっていて、今日はバイト先の小さな社員食堂で嘱託のおばさんと2人で社員の昼食を作る日だった。

 いつも僕はリンゴの皮を剥くのがモタモタしていたり業務用のミートボールの袋の封を切るのがモタモタしていたり唐揚げ用の鶏肉を一口大に切るのがモタモタしていたりでほぼおばさんが用意をしてしまうのだけど、今日はちゃっちゃと作業を進めて視野を広く保ち、おばさんに指示を出される前に、指示が出されるであろう作業を予想して、ほうれん草をカットしたりなんだり行動した。

 おかずの一つでほうれん草の白和えを作った。ほうれん草をたっぷりのお湯で茹でて、取り出して、1.5センチ幅に切ってぎゅっと絞って水気を取り、ボウルに移して豆腐やみそや砂糖など白和えの素とよく混ぜた。ほうれん草は「ぎゅうっとよく絞ってな」ということで、ゆで上げられて温かいほうれん草を両手でぎゅうっと絞った。「栄養が、」と思った。ほうれん草の栄養、ゆで汁に溶けてでていくだけでなく、こんなにもからからに絞られて、手に残った葉っぱに何が残ってんのかなと、指の間から滴り落ちていく緑色の汁を眺めながら思った。学校の食堂のほうれん草のおひたしで野菜摂取した気分になるのやめようと思った。

 「白和えできました」っておばさんにいったら、「今日の白和えな、ちょっと変わった味するで、ホウレン草売ってなかったから春菊やねん」って言いながらゆであがったサバをざるに空けていた。「へえそうなんですね(???)」

 空いたボウルを率先して(どや顔で)洗っていたら、洗剤の泡がざるの中のサバにモンっとかかった。気づかれないように水道の水を手で受けてチャパン、チャパンとサバにかけて洗剤を洗い流すことを試みるが、水に薄まった洗剤が下のサバに流れて伝うばかりであった。

 生姜と味噌で煮る過程で洗剤が消え飛ぶといいなと祈りつつ、これからみんなの体に入っていく食品と同じシンク内で洗剤を使う、という重大な過失を機にこれまでの人生を省みると、このまま丼に移したら溢れるだろうなという量の鍋のうどんをエイヤと移して案の定溢れさせる、このままだと遅刻しちゃうかもなと思いながら漫画を読み始め案の定遅刻する、こんなところに置いておいたら踏んで壊しそう気をつけようと思いながら案の定踏んで壊す等々、ひょっとしておれどっか狂ってんのかと不安になった。

 

 食事は昼、夜とも腹八分で済ませた。募金は今日もしてない。

 

※サバの洗剤は最終的にきちんと流しました

 

会った人を笑わせる 12月11日

「笑わせる、いうんは、『空気を作る』っちゅうことなんや。場の空気が沈んでたり暗かったりしても、その空気を変えられるだけの力が笑いにはあるんや。ええ空気の中で仕事したら、ええアイデアかて生まれるし、やる気も出てくる。人に対して優しゅうなれるし、自分のええ面が引き出される。それくらい空気いうのんは大事やし、笑いって大事なんやで」

 

 関西に来て7年になるが、会話のテンポ、ノリ、ついていけたことがない。オチという概念も未だに理解していない。パズルのピースをぴったりはめるかのごとく、適切な言葉を適切なタイミングかつ適切なテンションで、次々と繰り出しては笑いに仕上げていくその様に僕は驚嘆するばかりであるとともにこっちに振りが来ないよう常に祈っている。

 そうであるから、一緒に勉強してくれてる友人に対し、静かな相槌しか打てない僕と二人きりでは息が詰まるのではないかとすまなく思っているところがある。

 そして今日、一緒に答案を書く約束をしていたのだけど、開始に遅れるとラインが来た。返事をしたら、続けて足の爪を怪我している旨の報告も来た。

 しばらくして、爪が痛くてうまく歩けない旨のメッセージが短文でポンポンポンと来る。業務連絡以外のメッセージを送って来たということは何か気の利いた返しをしなければならないのではと考える。既読がついてる中でぎりぎりまで熟考し僕が送ったユーモアのあるメッセージがこちらである。


f:id:ichijikaidekaeru:20181213233554j:image

 

僕はすぐにラインを閉じた。そしてフローリングの床の木目を数えた。

 

「まあ自分みたいなんは、無理に笑わせようと気張らんでええ。むしろ笑わせようとすればするほど失敗するやろ。そんなことより、まずは、あなたと会えて楽しい、うれしい、そういう思いを持ちながら楽しゅう話してみいや。ええか?『気分は伝染する』んやで。いっつも“楽しい”“うれしい”いう気持ちでおったら、そこにおのずと笑いが生まれるわ」

『夢をかなえるゾウ』P.65

 

 後で恐る恐るラインを開いてみたら、僕のうんこみたいな返事にもちゃんとツッコミを入れてくれていた。そもそも、一緒に勉強してくれるということに僕はとても感謝している。そういう気持ちで過ごしておいた。

 

 

夢をかなえるゾウ

 

 昨晩、自習室を出て、駐輪場に向かい歩きながらスマフォの画面をつけた。

 ああ今日は金曜日だな、修習の最初の金曜日というのは飲むのだろうか、友人の某君はきちんとめくるめく合コンフィーバーで浮名を流すに至っているだろうかなど考えながら家路についた。

  「合コンで出会いました」という馴れ初めは言うのが憚られるという社会通念があるが、合コンは合同コンパの略、そしてコンパはコンパニー(company)の略、「合同コンパニーに出席した際のご縁でございまして…」と言えばなんだか公的な行事で出会った感が出るんではないかな。試しに軽く呟いてみたけど、「パ」の発音をした時点であぁ合コンねってなった。

 

 帰ってから、明日のバイト中に読む本を吟味しようと、友人に「意外と本ないね」と言われて以来若干のコンプレックスがあるわが蔵書を一通り眺め、鼻の頭を掻き、再度眺めた末つかみ出したのが、『夢をかなえるゾウ』である。

 

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

 

『夢をかなえるゾウ』(2007年)

水野敬也 飛鳥新社 

 

 内容は、平凡すぎる自分を変えたいけど変われないまま悶々とした日々を過ごしているサラリーマンの主人公が、その願いをかなえるために現れたというガネーシャから出される課題を、疑問を抱きながらも毎日こなしていくことで変わっていく、というものである。主人公と一緒に、毎日出される課題を実行してみましょう、という自己啓発本のジャンルに入るものである。すでに2回読んだことがある。

 

 最初の数頁をパラ見した。最初の課題は靴磨きでしょ、そんで主人公が靴磨きが人生の成功とどう結びつくんだって文句言うんでしょ、知ってる知ってる、と思う一方で、過去に読んだ2度ともただ読んで終わっただけだったなとも思った。(中学生の時読んだのも含めると3度読んでいる。)

 帰ってきて走りに行ってすぐ寝る生活の味気のなさに実は僕も悶々としていたのであり、課題、試してみよっかな、と思った。

 

 とりあえずしょってたリュックをおろして、最初の課題でもやることにした。

 

靴をみがく 12月7日

「ええか?自分が会社に行く時も、営業で外回りする時も、自分がカラオケ行ってバカ騒ぎしてる時も、靴はずっと気張って支えてくれとんのや。そういう自分を支えてくれてるもんを大事にできんやつが成功するか、アホ!」

『夢をかなえるゾウ』p.24より

 

 靴磨きは僕の得意分野である。わざわざ自己啓発本ごときに言われなくても靴ぐらい磨いてる。栄養のクリームも塗ってるし、ブラシで磨きあげてテカテカにもしてる。仕上げに防水スプレーを振れば埃や汚れも付きにくくなるのである。学部の時、元町高架下の靴工房で店員のお兄さんに詳しく教えてもらった。そして今の靴たちも確か1か月ちょい前に磨いたはず。磨いた時はいつも、「今後は毎月1日は靴磨きの日にしよう!」って決意するものの今月1日磨いてないんだけど、まあ汚れてないし、それはまた別の話というか、もう夜だし、早く寝る方が健康じゃん、と思ってとりあえずブラシをかけて埃を取り除く、という折衷案を採用した。あと靴を脱いだらそろえることにした。

 

 バイトで読むのはやめた。『夢をかなえるゾウ』を枕元において寝て、朝起きたら一話ずつ読んで、その日の課題を実行していくことにした。バイトでは逐条テキストを読んだ。

 

 

コンビニでお釣りを募金する 12月8日

「偉大な仕事をする人間はな、マジで世の中よくしたいて純粋に思て生きてんねんで。せやからその分、でっかいお金、流れ込んでくんねん。お金だけやない。人から愛されたり、幸せで満たされたり、もういっぱいいいもんが流れてくんねん」

『夢をかなえるゾウ』p.35より

 

 朝自習室に行き勉強して、さっとバイトに行き、終えてさっと自習室に帰ってきて、夜まで勉強して、帰宅した。

 コンビニ行ってない。コンビニ以外の店にも行ってない。そもそも今日財布を家に忘れたことに昼頃気づいた。昼はバイト先で食べさせてもらったし夜は備蓄があったから飯代含めて今日1円も遣ってない。2日目にしてクリア失敗です。なんなら昨日も靴磨いてないしな。

 

 とりあえず代替策として玄関を掃いた。走りに行ったランニングシューズが大学のグラウンドの砂をテイクアウトしてくるからである。昨日玄関で靴をそろえたときも気づいていたけど、黙殺していた。

 ランニングシューズにこびりついている砂と泥を箒ではたき落とし、玄関を掃いた。クソみたいな安ほうきである上に、掃く部分を下にして立てかけているから変な癖がついててとても掃ける代物ではないが、そこは地面を一秒間に2,3回こする勢いで箒を持つ手を高速で動かしてカヴァーした。

 ところで、ここで浮上するのが掃いた砂等をどこに処分するかの問題である。今までは、管理人さんが廊下を定期的に掃除してくれることに甘えて、廊下に向かって掃き出していた。しかし、廊下は共用部分である。世の中よくしたいと思って募金することの代替手段を遂行していることに鑑みれば、共用部分を汚すことはその趣旨を没却するため妥当でない。他方で、家の中用の塵取りを使うことは嫌である。

 そこで以下の折衷説を採用した。すなわち、いったん廊下へ掃き出し、廊下も一部掃いて、目につかない角にできる限り小さく固めることにした。

 夜の廊下にシャッシャシャッシャと怪しげな音が響いたが、すぐに終わった。

 

 募金はまた今度する。

 

 

 続く

三國志9プレイ日記④ ~勝ちが見えてきた~

長らく下書きに保存されてたプレイ日記。

プレイ日記は一定数ご覧くださる方がいらっしゃるらしい。ありがとうございます。

 

前回記事

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204221956j:plain

袁紹は結局虎牢関を落とせなかったようで退却していった。

さすが虎牢関だな。

 

袁紹が頑張って攻めてくれたその虎牢関を狙いにありがたく洛陽から出陣する。

 

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222816j:plain

先発した趙雲隊が一瞬で壊滅してしまったことにビビったけど、あっさり落とせた。

虎牢関は洛陽から落とすべしと学んだ。

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222710j:plain

虎牢関を落とした途端、大将軍になってしまった。

出世街道まっしぐらである。

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222822j:plain

今度は、許昌から劉表の宛を攻める。

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222828j:plain

こちらもあっさり落とした。

 

 

 

虎牢関といい宛といい、なぜこうもあっさり落とせるか。

 

武将がいないのである。

袁紹劉備勢力以外、武将の人数が少ない。

 

劉表は13人、孫堅は16人、劉焉は23人、馬騰陶謙は知らないけどおそらくそんなもんだと思う。

 

 

というわけで正直劉表のことはなめている。

 

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222832j:plain

袁紹のことはなめていない。

虎牢関を取ってからというもの、わしが先に狙ってたんじゃいといわんばかりにめっちゃ攻めてくる。

しかもまあまあ強い。そのため、わが軍の優秀な武将を虎牢関の守備に割かなければならない。

なにより軍師・荀彧から袁紹襲来のお知らせが来るたびにヒヤってする。

 

 

 

 

しかし、そんな劉備軍に最強の守備隊長が登用された。

宛の穣県でスカウトした黄忠翁である。

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222837j:plain

黄忠将軍、虎牢関に赴任するやいなやすさまじい連弩を披露してくださる。 

 

 

瞬く間に袁紹隊を壊滅させ、敵大将の袁紹を捕らえることに成功した。

 

 

「この借りは必ず返す!」と勇ましい袁紹にはすまないと思ったが、あまりの侵入頻度に深刻な兵糧不足に陥りかけていたわが軍は、、、 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222841j:plain

 

すまない。

処断した。

 

  

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222850j:plain

君主を処断してしまったから、袁紹勢力にいた周倉が、もうわが軍に来てくれることはない。悲しい。 

 

 

袁紹の跡は袁譚が引き継いだ。袁尚と争うことはなかったようである。 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222911j:plain

ここまでの勢力図。

 

 

 

 

 

さて、袁紹軍との戦いがアツい虎牢関・洛陽と並んで、西方の前線基地・宛も重要拠点である。

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222852j:plain

曹操や賈栩、趙雲などトップクラスの将軍を集め、呂布軍の長安への侵攻を企てる。 

まずは武関攻略戦である。

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222856j:plain

呂範って序盤から地味に活躍するよね。

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222915j:plain

武関を落として長安とを隔てるものがなくなるといよいよ怖くなってくる。

地獄の呂布将軍が長安にいるのである。

怖いのは呂布が打って出てきて一騎打ちを仕掛けてくることである。

討死ありモードでプレイしているから、優秀な将軍が誰かしら死んでしまうかもしれないのである。

 

 

したがって、長安は交戦状態をできる限り短く速攻で落とすべく、洛陽からも進軍し、2面作戦で臨む。

 

 

 

  

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222925j:plain

もっとも、洛陽は袁譚軍との前線であるため、劉備隊一隊で出陣。 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222929j:plain

手薄の潼関をさっと落とせることを見込んで武関から全力出陣。

長安10000に対し60000の兵力で臨む。

なぜか少ない守備兵を割いて夏侯淵隊が明後日の方向に出陣していくが、わが軍は呂布将軍への恐怖のためこれをかまう暇がない。

 

 

 

 

 

 

 

と思っていたら呂布将軍は新野へ向かって出張中のようであった。

劉表に攻められている新野城を救援に行くようである。あれあれ。

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222932j:plain

 

 

 

 

 

 したがってすぐ落としてしまった。

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222941j:plain

 

 

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222945j:plain

捕虜がいっぱい。なぜか夏侯淵も捕虜だ。 

 

 

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222948j:plain

次のターンには新野城も落ちてしまったらしく、呂布軍は滅亡した。

 

 

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222951j:plain

在野になっていた呂布を登用した。

丁原の悲劇を知るわが軍は君主劉備から呂布の所在を遠ざけておく。 

ちなみに登用したのは劉備その人である。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、かつて中華随一の強大さを誇った董卓軍を呂布が乗っ取り、これを劉備が吸収した。

劉備軍の武将数は59に増え、55人の袁譚軍を上回るに至った。

信望は600に届く勢いであり他勢力が足元にも及ばない。 

都市数は袁譚のほうが多いけど、劉備陣営は、関羽張飛趙雲黄忠、荀彧、曹操、許褚、夏侯淵、李典、賈栩、そして呂布と武将の優秀さが際立っているため、あんまり負ける気がしない。

 

 

 

f:id:ichijikaidekaeru:20181204222955j:plain

とりあえず洛陽で袁譚とやんややんや戦っておく。

 

そのうち反劉備連合が組まれるかもしれない。

 

 

 

 

続く 

 

過去記事

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

ichijikaidekaeru.hateblo.jp














 

司法試験浪人生活3 ヶ月目

 

※コーヒーの下りがしばらく続きますが本編とは何も関係ありません。

 

 



f:id:ichijikaidekaeru:20181119214021j:image

お湯を入れてカップを温めておきます。

 



f:id:ichijikaidekaeru:20181119214039j:image

フィルターとドリッパーは1 ~2 人用。

 

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181120192956j:image

適当なスプーンで入れてるので粉の量はアバウトです。

でも一杯分だけのドリップはちょっと多目に粉を入れないと美味しく淹れられないことに気づいたので、多目に入れてます。

ちなみにドリッパーも温めておいた方が美味しく入ることにも気づきました。

 

 



f:id:ichijikaidekaeru:20181120193009j:image

最初に粉を湿らせる程度にお湯を注ぎしばらく待ち、蒸らします(約30 秒間)。

全体を満遍なく湿らせるとか、中心に百円玉程度の円を描くように湯を注ぐとか、お湯をそっとのせるだけとか、参考にしたサイトによって表現が違いましたが、いずれにせよこの蒸らしのために注ぐお湯の量は、数滴ポタポタと落ちる程度らしいです。

 

この最初に落ちる一滴はファーストドリップといって、コーヒーを淹れる過程のうち最も美味しい部分らしいです。

 



f:id:ichijikaidekaeru:20181120193031j:image

まあ一滴も落ちてないんですけどね。

 



蒸らしが終わったら、中心からひらがなの「の」を描くように湯を注いでいきます。

フィルターにかからないように、豆を暴れさせないように、優しく。

 

細く均一に注ぐためには専用のコーヒーポットが必要なのですが、百均で買った急須に急須スキッターという便利小物を差して代用しています。

 

 

「コーヒーポット  代用」と検索して出てきたこちらのブログを真似しました。ありがとうございます。

急須スキッターをつかったらプロ並みのコーヒードリップ技術が手に入った : 和田珈琲

  

 

インターネットにはあらゆる生活の知恵がたくさん詰まっています。

生活のふとした不便をインターネットで検索すると、同じような不便を感じていた人たちが解決の知恵をたくさん置いてくれているので、僕は密かにインターネットのことを知の集結と崇めています。

ヤフー知恵袋の回答者が何であんなナチュラルにタメ口なのかは、謎です。

急須スキッターは、楽天のほうが安いです。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181120193057j:image

片手でカメラレンズをパタパタと遮るスマホカバーを押さえながら親指を駆使してシャッターボタンをタップしようと必死になって、注意が散漫になったもう一方の手でわたわたとフィルターに湯をかけていると、虚しさが込み上げてきます。

後輩が好意で席をくれた自習室の給湯室で、勉強もせずにカシャカシャと不審な挙動をしているのです。

 

もっとも「現代社会に生きる国民は全て、不特定多数者の閲覧に供する目的で自己の私生活上の行動を逐一写真撮影し、これらの画像を加工し又は自己の私生活の充実を明示若しくは黙示する説明若しくはこれに準ずる文言等を付し速やかにインターネット上にアップロードする義務を負」うことが最近判例により明らかになったので、頑張って撮りました。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181116135110j:image

最後の一滴は入れちゃダメなんだそうです。

雑味があるからだそうです。

 

 

たまにクリティカルに美味しいコーヒーが入るのですが、その時はとても満ち足りた気分になります。

 

 

今回は虚しくなったのでダメです。

 

 

 

 

 

 

~司法試験浪人生活3 ヶ月目~

 

 

 

朝は目覚ましをかけないで、目が覚めた時間に起きます。だいたい8時間ぐらいで起きます。ノンストレスです。

最近は起きる時刻をコントロールできるようになってきました。6時起きも可能です。ノンストレス早起きです。

 

 

一方で勉強の方はあまりノンストレスじゃありません。

もう合格発表から2ヵ月半が経とうというのに、成果が乏しいです。

浪人を経験してみて初めて知りましたが、単純に現役のときに蓄えた知識に上乗せできるものではないみたいです。

4ヵ月のブランクは大きく、取り戻せていない感じがいつまでも拭えず焦りを感じます。

 

 

浪人はするべきではないなと思います。

確かに、去年は全くやらなかった過去問検討をするようなったり、趣旨規範本を採り入れたり、進歩してるなという実感があります。とくに過去問を2時間で一生懸命最後まで答案作成して、採点実感を見ながら修正をしていくという作業をやらなかった去年はむしろ何もしていなかったと同じだなと思っています。

しかし、そういうのも受験勉強という枠の中での進歩にすぎないなと思うと、ああ人生の無駄足踏んでるなと思います。

 

 

ロースクールに在籍し司法試験合格を目指すための生活というのは、普通の人からすると引くらしいです。

「朝は8時とか9時とかに自習室に行って、夜は9時とか10時とかに帰ります、その間まあずっと集中出来てる訳じゃないですけど、勉強してますね、家は基本的に寝るためだけの場所なんで、あんまり家にはいないですね、土日とかもあんま関係なく同じです」

という説明を何度もしてきたけど、まあ毎日そのとおり出来てたら受かってると思うけど、基本的には勉強しかしてない生活、しかもこんだけやって若さと金を費やしても受かる保障もないのだから、「うわぁ~、へ~・・・」という反応をされても当然だと思っていました。

でも周りが皆そうだったから、辛いけどそういうもんだろうと普通に受け入れていました。なんなら、むしろ尊いことをやっているとさえ思っていたかもしれません。

しかし、そうやってひたすら勉強だけするという環境を一緒に作っていた友人達が受かって、周りからいなくなり、この生活を過去のものとし始めると、急に今のこの勉強するしかない状況が、恥ずかしくなるというか、何をしてるんだろうというか、胸を張れないというか、ただの無駄足を踏んでるだけだなと、性質が変わりました。書いてて気づいたけど、過去を生きているんですね。

 

 

 

赤信号、皆で渡れば怖くない、たとえ2tトラックが迫っていても。

でもいつの間にか周りにいたはずの赤信号無視仲間はみんな渡りきっていて、車道でへらへらしてるのは一人だけだと気づいた時、車道は普通に危険だし、2tトラックは超怖いです。

 

先日、ひとり食堂でお盆を抱えながら小鉢を選んでいて、うわあ食堂のサラダ、年々量減ってきてるなぁと思った時、ああこの一年は無駄だと感じました。

受験は延長してもなにも意味ないし、ガッと集中すべきときに集中してさっさと終わらせる以外に正解はないと思います。

 

 

 

さっさと終わらせるべきだった現役の試験間近、僕は何をしていたかというと、ミニマリストのことを調べていました。

やたらがらんとした自室の画像をインターネット上で不特定多数の閲覧に供しまくっているあのミニマリストです。 

試験が近くても全然集中していませんでした。集中したくてミニマリストのことを調べたのか、ミニマリストが興味深すぎて集中できなかったのかは覚えていませんが、皆一生懸命勉強している自習室で、僕は集中していませんでした。 

 

 

 

 

そして今、僕の部屋にはベッドがない(捨てた)。

朝、がらんとした部屋でパチッと目が覚めるのは気持ちいいです。

気持ちいいですが、代償が大きい。

 

 

そんな感じで今2年目があるので、youtube観てたらいつの間にか日が暮れてて一日をどぶに捨てた日の、結局頑張れないんだなあというイライラと落ち込みはすごいです。

youtubeを観るときは必ず東京03のコントかサンドウィッチマンのコントから始まります。) 

先日、後輩にラインで今日一日無駄にしちゃったんだけどどうしたらいいかなとすがったら、筋トレしてさっさと寝るといいですよ、と返ってきました。

筋トレせずにランニングで代えて寝ました。

 

 

 

ストレスをためる一方で多くの方に感謝しています。

先輩やOBの方が辛いときは食事でもしよう、連絡してくれと言ってくれました。お世話になった先生に不合格を報告するメールを送った時は、普段は「受からなかったらどうなるかわかってんだろうな」と脅してきてたのにとても温かい返信をくださったし、友人たちはわからないところを聞くととても丁寧に議論してくれるし、ロー時代のバイト先がまた温かく雇ってくれるし、実家から米とりんごが送られてくるし、その段ボールの隙間にパスタソースとか缶詰とか食料がパンパンに詰められているのを見て泣きました。泣いてませんが

 

 

 


f:id:ichijikaidekaeru:20181116135329j:image

先日はバイト先の方からめっちゃ果物をいただきました。
朝ごはんは数日間バナナとキウイとミカンと柿とリンゴになりました。

 

ちなみに同じタイミングで実家からりんごが送り込まれてきたので、学校から帰るとリンゴを剥いて食うという時間もプラスされました。

 

 

 


今度は真剣に勉強して受からないとなと思います。

来年の5月の本番は緊張で泣くかもしれませんが、頑張りたいです。

 

 

 

 

 

※本記事には随所に現役時代ちゃんと勉強してたら受かってたというニュアンスが見て取れますが、本当に受かっていたのか否かはデリケートな部分ですので、流しておいていただければ幸いです。

 

ジーパンが色落ちしたので染めてもらった

 

(承前)
ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 

 

 

5年間履きまくって色落ちしたジーパンを、染め直しました。


f:id:ichijikaidekaeru:20180908211417j:image

 

 

 

世の中には、染め替えサービスといって、個人客相手に染色を請け負ってくれる業者がいてくれるみたいです。

インターネットで「ジーパン  染める  業者」と調べたらいくつかホームページが出てきました。

 

ジーパンのみならず、ワンピースやTシャツ、バッグや帽子など、化学繊維でなければ相談次第で色んな衣服を染め直してくれるみたいで、お気に入りだけど色褪せてしまったアイテムや親から貰ったけど昔のデザインな洋服が生まれ変わってまた着られるようになるようです。

とても素敵なことだなと思いました。

 

ジーパンの染め直しは、ホームセンターにも染色材が売られていて自分で家でやる人もいるようだけど、せっかくなので業者に頼んでみることにしました。

業者の染料は、洗濯しても落ちにくいとのことだったので、そこも魅力的でした。

 

ただ衣類を染めるには、高温の液に浸ける過程を経る必要があるらしく、場合によっては縮みが生じたり、傷みがある生地はさらに傷みが進んだりするおそれもあるとのことでした。

僕のジーパンは修繕を重ねまくってきたので生地も傷んでいたし、業者の方に相談したメールでも、修繕部分がほつれる可能性があるなどと回答を受けたりしていましたが、まあ大丈夫っしょ、と思って染め替えを依頼しました。

また、刺繍糸などは科学繊維で作られているため、染まらずに色が浮き出るとも注意されましたが、まあ余裕っしょ、と思って依頼しました。

 

 

 

 

 

 

2週間かからないぐらいで染め直されたジーパンが届きました。


f:id:ichijikaidekaeru:20180908211417j:image


f:id:ichijikaidekaeru:20180908214136j:image

 

 


これがbeforeです。


f:id:ichijikaidekaeru:20180908224654j:image

beforeと比べるとだいぶ染まりました。

ただ、言われた通りに、股間やポケットの修繕して補強した部分の糸が染まらずに模様みたいになりました。


f:id:ichijikaidekaeru:20180908225833j:image


まあ嫌だったら糸抜いてもらえばいいかなと思って放っておきました。

 

 


f:id:ichijikaidekaeru:20180908214538j:image


f:id:ichijikaidekaeru:20180908214624j:image

また、もはや紺色のカラーパンツになったので、ジーパンだからこそ許されていた裾とかのほころびが許されない雰囲気になりました。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20180908215914j:image
f:id:ichijikaidekaeru:20180908215929j:image

ジーパンぽい雰囲気はありつつ、別なパンツという感じです。

まあもはやインディゴ染ではないですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

2ヵ月ほど履いてみて、結論をいうとジーパンに関しては別に染めなくてよかったなというのが感想です。

 

染め替えの出来はとても素晴らしいものでした。

本当に最高のサービスを発見したと思います。

ただ、履き古したジーパンは染めるもんじゃないなと思いました。

 

ジーパンの色落ちを味のある経年変化だともてはやす人たちを、いや経年劣化でしょと蔑んでいたのですが、いざ振り切って全く色落ちしない染料で染め直してみたら、なんだか味気なくなってしまいました。

やっぱりジーパンは履いて色落ちしてなんぼだなって思ったし、ほころびができてなんぼだなって思いました。

ジーパンという衣服は、他のものにはない、独特の味があるのだと失って初めて思い知りました。

ジーパン紳士たちに謝りたいところです。

 

それに、染めてからガンガン履いていくのならいいのかもしれませんが、ガンガン履いて生地が傷んでから染め直して綺麗にしても、綺麗さと生地の古さがなんだかちぐはぐな感じがして、センスのないことをしたかなという気がしました。

 

また、色落ちしたジーパンはみすぼらしく映ると思っていたけど、そもそもジーパンは作業着だったんだから、きれいに履こうとすることに無理があるのだと気づきました。

ジーパンを上手に色落ちさせるためあんまり洗わない、というジーパン紳士のことを、色落ち云々の前に衣類であるという本質を見落とすな、洗え、と嘲っていたのだけど、僕もジーパンはそもそ作業着であるという本質を見落としていたようです。

色落ちジーパンで梅田とか行こうとするのがそもそもおかしいからな。

 

 

 

こうして数年にわたり悩んだジーパン色落ち問題は、ジーパンを染め直してもはやジーパンじゃなくしてみた結果、もう普通に色落ちしたらええやん、という考えに至りあっけなく解決しました。

 

 

そしてこのような結論に本当に納得したのは、久しぶりに会った友達が履いてたジーパンが普通にかっこよかったからです。

 

先日、後輩と二人でバイクで、新潟にいる友達に会いに行ったのですが、待ち合わせ場所にふらっと現れたその友達は、よく馴染んだビルケンシュトックのサンダルと、界隈では人気の岡山の国産ジーンズを履き、柔らかく着心地の良さそうなTシャツを一枚さらっと着た格好でした。

 

僕がその友達のことを尊敬しているという面もあるのですが、普通にかっこよ、って思いました。

そして僕が、そのジーパン知ってるよ、という旨を指摘すると、友達は、「これ最初は毛羽立っててふわふわだったんだけどな、洗ってたらいつの間にか無くなってた!」とあっけらかんと笑っていました。

それを聞いて僕はジーパンってごちゃごちゃ考えるもんじゃないなと思いました。

 

 

 

 

 

というわけで今となっては、ここ数年どうでもいいことを考えて時間を遣ったなと思っているのですが、しかし、記念に作ってもらった思い入れのあるジーパンを身につけるということがいつの間にか僕のアイデンティティーとなってしまっていたのだから、どんな服とも合わせてそればっかり履いていたいと思ってあれこれ考えてしまったことは仕方ないのです。

 

この前後輩と飲んでいて人のプライドの話になったとき、後輩は「プライドって本当に邪魔ですよね」と言っていたのですが、そこに僕も付け加えさせてもらうとすれば、生きる上でアイデンティティーというものも相当邪魔です。

 

しかしながら、ロースクールの二年間やたら主張の強い面々と触れ合っているうちに思い至ったことをあえて言わせてもらえば、プライドとアイデンティティー、どちらかひとつでも感じられない人は一緒にいてもつまらないと思うのです。

 

 

 

 

 

ぜひ皆さんもどうでもいいことで悩みましょう。

 

 

人間だもの。

 

 

end

 

 

 

色落ちしないヘビーオンスのジーンズがほしい。

f:id:ichijikaidekaeru:20180726140108j:image

 

僕も、以下のような湿度の高いブログを書きました。

 

 

 

 

 

 

5年前、20歳の誕生日を迎えるに当たって僕は、二十歳記念にジーパンを作ろう!と考えました。

 

 

しっかりとしたヘビーオンスの丈夫なジーパンをオーダーメイドする、そうして世界で一つだけのその自分のジーパンを大切にいつまでも履く、いつか大人になってそのボロボロになったジーパンを眺めて、我が歴史ここにありとニヤニヤする、という素敵すぎる妄想が当時(20歳)の僕の頭を支配していたのです。

 

 

神戸花隈にオーダーメイドを扱っている服飾工房があるようだったので、満を持して、Googleマップの住所を頼りに訪ねていくと、花隈の静かな住宅街に小さな服飾工房がひっそりと看板を出していました。

当時、人を訪ねるときはアポイントをとる、という概念を持っていなかったため、僕は昼下がりの静かな仕事場に闖入した見知らぬガキでしかなかったのだけど、そこにいたお兄さんはミシンの手を止めて快く対応してくれました。

僕が「二十歳記念にあつらえてほしくて」と言うと、お兄さんは「20歳か~若いねぇ……まだまだ全然これからだね~」と言いながら、注文書の備考欄に「20歳記念!」と書き込んでくれました。

当時は、「まだまだこれから」?もう20歳なんですけど、と思っていましたが、今、将来がいまいち見えない身にとっては、「まだまだ全然これからだね~」以上の優しい言葉はないと思う。

 

 

 

~ 以上思い出 ~

 

 

 

 

履く前はこうでした。


f:id:ichijikaidekaeru:20180623171741j:image

出来たてです。

 

生地はなんだかんだ15オンスです。

 

 

 

 

 

しばらく履いたらこうなりました。



f:id:ichijikaidekaeru:20180728230248j:image

 

 

5年履いて今年の6月にはこうなりました。



f:id:ichijikaidekaeru:20180728232634j:image

色が、すっかり落ちました。

 

 

今までの5年間、僕の服装はほぼこのジーパンでした。

ロースクールに入って2Lの間はズボンを2本しか持っていなかったので、自慢のオーダーメイドジーパンを2日に一回履いていました。

 

 

しかし、いつしか色落ちしてから悩むようになりました。

というのは色落ちしたジーパンは、ちゃんと履かないとみすぼらしく映るのです。

 

僕は一時期白シャツを3枚持っていてほぼ毎日白シャツしか着ていなかったのだけど、これは特に白シャツが好きだったわけではなく、単に色落ちしたジーパンに合うように服を買ってたからです。

 

また僕はセーターは紺か白を買うことにしていたのですが、これも色落ちしたジーパンに合う色だからです。

 

ただ室内だけならいいんですが、冬になってコートを着るようになると、色落ちしたジーパンは寒々しさが増すのです。

また靴も下手にカジュアルなものを履くと、田舎の中学生みたいになるのです。

 

 

 

ちなみにこれは話が逸れるのですが、司法試験の会場で列はさんで隣の席のひとの服装が毎日色落ちしたジーパンに茶色いゴツいブーツに適当なシャツで、頭がアジカンのボーカルの人みたいなボサボサでメガネだったんですが、その人はなぜかめっちゃかっこよく見えてガン見しました

たぶん痩せてて長身だったから似合ったのだと思います

 

 

 

 

 

ロースクールという場所は勉強以外の余計なことを考えるのが非常に負担になるところなので、ロースクール時代は、毎朝何着るかとか考えるのはとても無駄な労力だと思っていました。

 

色落ちしてない濃い紺色のジーパンというのは何にでも合うので、色落ちさえしてなければなにも考えずにこれ履いていけるのにな、あーあと毎日思っていました。

 

僕はロースクールの間、勉強のことと同じぐらいジーパンの色落ちのことを考えていたと言っても過言ではないのです。

 

 

 

そして僕のこのジーパン色落ち沼に拍車をかけたのが、「ジーパンを色落ちさせる」「ジーパンを育てる」という大人の文化です。

 

勉強の合間によくGoogleで「ジーパン  色落ちさせたくない」など調べていたのですが、すると「ジーパンの上手な色落ちのさせ方!」とか出てくる

 

ジーパン  育てたくない」と打つと、「ジーパンの上手な育て方!」とか出てくる

 

 

しまいには国産のヘビーオンスジーンズのメーカーでさえ、「色落ちに、とことんこだわった一品。」みたいに銘打ってジーパン作りやがるのです。

 

 

インターネットには大人の男たちによるジーパン色落ち自慢のブログがひしめき、ジーパンのいい色落ちを眺めながら酒を飲めてしまうとの言説が現れる

実際にはジーパン色落ちコンテストというのもあるんだって

 

 

盆栽みたいだなって思った。

 

 

僕はそんな紳士たちのたしなみをインターネットで眺めては、自習室でみんなが必死で勉強しているなか、「色落ちやめーや……やめーや!」とひとり唸っていた

こんな色落ちを称賛する文化があるから、僕みたいな色落ちで悩む青年が救われないではないか、と。

 

そうして僕は、昨今のジーパン業界はダメダメだ!と憤りはするものの、ジーパンにはジーパン検定なるものがあり専門家が存在する分野なため、こんな勉強の片手間に適当に情報集めてるだけのロー生がグダグタ言っても、日曜映画劇場しか観ない親父が年何百本も映画を観る評論家に講釈を垂れる図になるなと思って項垂れていた

 

 

 

 

僕がジーパンに感じる魅力はそのタフな作りであり、綿パンであることである。

綿という素材は履き込んでいくうちに形が身体に合わせて馴染む性質を持っているから、長く履けば履くほど愛着が湧く

そして丈夫である分、長く履ける。

 

 

色は落ちなくていい。

 

 

たぶんだけど、僕がジーパンの色落ちを、着る服の選択肢を狭める経年劣化と捉えるのに対し、世のジーパン紳士たちは、素材の表情が出る経年変化と捉えるのだろう

 

というかジーパン紳士たちからしたら、僕のジーパンのような真っ青な色落ちはそもそも色落ちの失敗作と見なすのかもしれない

 

 

でもでもでもジーパン紳士たちはジーパン上手に色落ちさせるために、あんまり洗わないとかいうことやるんだぜ

 

 

 

洗え。

衣類だぞ。

 

 

 

 

また今は昔と違ってジーパンの色落ちをさせない専用の洗剤もあるみたいです

 

 

でも何回もガシガシ履けるからこそのジーパンをお洒落着みたいに扱うのはアホらしいし、ジーパンだけ別で洗わなきゃいけないとか日々の洗濯がめんどい

 

 

 

このような感じで、そもそものジーパンの色落ちの仕組みとかを調べてはじゃあもう色落ちるじゃんと残念がったり、色落ちしない染料で染めるジーパンもあるとか無いとか、どこにあるんだとか調べたりしていた日々ですが、ふと、ジーパン染め直したらよくない?って考えを思い付いた。

 

要は僕は、丈夫な綿パンで履くほどに身体に馴染むものならいいんだから、色の問題さえ克服できれば全部解決じゃん、これはいいこと思い付いた。とウキウキしたのである。

これが司法試験終わって2週間後ぐらいの話である。

 

 

 

続く

ichijikaidekaeru.hateblo.jp

 

 

 

 

 

バイクで神戸に帰る


f:id:ichijikaidekaeru:20180817110421j:image

飛騨高山のファミリーマートのイートインで豆乳を吸いながらリフレッシュしてる

 

今10:38

 

長野県から国道158号線を西に走って岐阜県境の安房峠を越えて、もうすぐ高山市街地です。

 

158号線は長野県・岐阜県を隔てる山脈を越えていく、上高地にも通じる峠道です。

 

片手に山肌が険しく迫り、反対側の眼下は渓流が走り、縫うようにうねうねと走ってきました

標高が高いので空気がキリッとしていた

15℃って表示が出てた

 

時々ライダーとすれ違うと、たいてい手を振って挨拶してくれるのでこっちも手を振って挨拶するのですがとてもテンションあがるし親近感湧く

 

 

緑の山と青い空と白い雲と澄んだ空気

 

 



バイクは最高だ





これから高山を過ぎて福井県大野市役所に向かい神戸から来る後輩と合流して新潟へ向かいます

4泊5日で神戸に帰ります

 

 

旅はこれからだ


f:id:ichijikaidekaeru:20180817110523j:image

バイクで実家に帰る


f:id:ichijikaidekaeru:20180803171141j:image

 

 

 

滋賀県彦根ファミリーマートのイートインでぐったりしてる

 

 

今17:12

神戸出たの9時20分

8時間走ったけど進んだの100キロぐらいか

信号信号また信号でクラッチ握ったり離したり左手が痛い

 

国道だめです

 

今日は愛知県の祖母の家に泊まるけどあと120キロぐらいある

19時過ぎに着くと言ってあるけど、Googleマップの表示があと2時間50分とか言ってるから間に合わないことは確定してる、

信号とか入れたら2時間50分よりもかかる

まだ岐阜県をまるごと残している……

 

西陽と進まなすぎる行程と知らない土地でなんかもうすごく寂しくなってきた

ロースクール時代に友人のM君が「西陽って人を疲れさせるらしいで」と言っていた声が聞こえる

 

今いるファミリーマートは道を間違えて来たところだからまた戻らないといけない

さっき、走ってるときの寂しさを音楽聞いて鎮めようと思って携帯から音をならしてみたけど風で聞こえなかった

 

前を走る車、後ろを走る車、家へ帰るのか、知らない土地の知らない人たちの生活を感じる、寂しさ倍増である

チャリ乗った高校生達、日焼けしてキラキラした笑顔で通りすぎないでおくれ

 

 

 

 

電車でええやん

 

 

よくないのである

バイクで帰るのである

 

でもまだ彦根

まだ彦根

助けてくれ

 

 

どうして僕はこう、自ら進んでみじめな気持ちになろうとするのか、僕の未来は開けるのか

 

旅は終わらない。

 


f:id:ichijikaidekaeru:20180803172829j:image

 

司法試験後 時間使い方を見つめ直す

f:id:ichijikaidekaeru:20180711160221j:image

 

「じゃあちょっとそこの軽トラをそっちの道にどかしてくんない」って言われたとき、うわぁついに来てしまったと思ったのである。

僕が車を運転するのに全く慣れていないことが露呈する瞬間である。

 

どうか運転を命ぜられませんように、と願いながらここまで過ごしていたのに、普通に命ぜられてしまった。

内心でうわぁと思いながらも命じられたことには機敏に動くように幼いときから教育されているので、しっかりと「はいっ」と返事をして、僕はささっと軽トラの運転席に乗り込んだのである。

 

 

 

 

 

現在帰省しており、実家のすぐ近くの農園でスイカのバイトをしてお世話になっております。

 

来年も司法試験受けることになった場合、受験料とか模試代とかまたまあまあかかるから、ある程度まとまったお金を稼いでおこうと思い、7月いっぱい実家にいてバイトをすることにしました。実家だと生活費もかからないし。

受かってたら北海道に蟹を食べに行きます。

 

 

朝5時から畑でスイカを収穫するので毎朝4時半起き、寝るのは毎晩9時過ぎという超健康的生活を送っております。

僕の車バック出来ない事件が起きたのは、お日様ものぼってよく晴れた、超健康的生活午前の部のスイカ畑においてであります。

 

 

 

 

田舎で軽トラとは当たり前のようにマニュアル車である。

今時MTなんて使わないぜ?という声をよく聞くけどそいつらはしょせんシティーボーイ風情である。

もっとも、ここで問題なのは免許を取るべきはオートマかマニュアルかなどではなく、僕が車をバックさせて一定のスペースに収めるという運転の基本的操作に著しい不安を覚えていることである。

オートマとかマニュアルとか以前の問題なのである。

 

しかしお邪魔させていただいているバイトの身分で、与えてもらった仕事を拒むわけにいかない。

それ以前に、一台の車を通すために邪魔になっている軽トラをちょっとどかすなどというのは、そこの醤油取って、とか、このノートなおしといて、とかいうレベルの、出来ないという答えを予想することがないほんの一瞬の作業なのである。

 

従業員の方は、もう一台の車にさっさと乗り込んで僕の移動させるのを待っている。もたもたしている場合ではない。

 

僕は全く問題ないぜ?という態度でキーを捻ってエンジンをつけ、何も問題ないんですけど?という態度でハンドブレーキを下ろしギアをバックに入れ、余裕なんですけど?という態度で運転席の窓から後ろを振り返ってクラッチの足を緩めつつアクセルを踏んだ。

 

 

 

ウォーン!!!

 

 

 

とはならないところはさすがの僕である。

 

しかしめっちゃそれっぽく窓から顔を出してバックしつつも、ハンドルを切るタイミングが不明である。

曲げたい角に後輪が来たら切ると習った気がするのでそこで一旦ブレーキを踏みハンドルを目一杯切って再びバックするのであるが、この時点で後輪が本当に角に来ていたのか、現在後輪がどこにあるのか把握していない。

 

軽トラを入れるべき畝と畝の間の道は細いので下手に入れると大事なスイカを踏み潰すし、なんだかこのままバックを進めたら左前輪が畑の端を流れる用水路に落ちそうな気もする。

 

山歩きの鉄則として、道がわからなくなりこのまま進むことに不安を覚えたときは、確実な地点まで戻ってみる、というものがある。

 

とりあえずギアを1に入れて車を元の位置に戻した。そして再度バックしてみた。

しかし何のイメージもせずに再挑戦しても結果は同じである。

山歩きで確実な地点まで戻ったあとに今度は別の道に迷うようなものである。

だいたい、車の車庫入れの調整に、元の位置までそっくり戻るという山歩きの鉄則は当てはまらない。

 

僕があまりにもたもたしているので、ついに従業員の方が車を降りてやって来た。

大丈夫?4駆入ってる?4駆のスイッチはこれ、と言ってくれるので、すみません4駆にしてませんでした、と答えるもののこの時点で4駆の問題などでないことを僕は理解している。

 

その後も相変わらず手こずり、後輪でスイカを踏み潰しそうになったところで再び従業員の方がやって来てスイカを救出した。

そして呆れた顔でついに誘導を始めてくれた。

しかしそれでも僕が思うように動かないので、大変もどかしいようである。

バイトの身分で迷惑をかけるわけにいかないという当初の思いはもはや、案の定、という形でしっかりと実現していた。

僕は25歳にして泣きそうになった。

 

進撃の巨人で、キース・シャーディス元調査兵団長が、団長としての自分の唯一の功績は自ら団長を退任することで無能なトップをすげ替えたことだけだと自嘲気味に語るシーンがあった。

出来ないことをみっともなく続けて他人に迷惑をかけるよりは、さっさとできる他人に替わってもらった方がいいのである。

 

そう思った僕は弱々しく、すみません、替わってくれませんか、と言った。

 

すると従業員の方は、いや、もうこれで停めていいよと言うので僕はギアをニュートラルに入れハンドブレーキを引きエンジンを切って力なく車を降りた。

そしてすごすごと他の従業員の方たちに混じってスイカの下にプラスチックの皿を敷いていく作業を始めた。

 

 

 

イカのつるを掻き分けながら僕はひたすら赤面していた。同時にやっちまったやっちまったと動揺していた。

軽トラのバックが出来ないところを晒したのである。

田舎社会で、車のバックが出来ないなどというものは、いい歳こいて無職でいることよりもあり得ないことである。

前にツイッターで「田舎で日常的に自転車に乗っている大人の男はちょっと足りない人という目で見られる」というツイートをきっかけに田舎車あるあるが盛んにリプライされているのを見たが、だいたいその通りだと思った。

田舎において、車の運転が出来ない男はヤバいのである。

そしてもちろん、都会では車がなくても余裕で生活できるし、学生だったら時々レンタカーで旅行するとき以外は車を運転する機会など無いのである、ということなど知らない。

レンタカー借りたときどうやって駐車してたかは忘れた。

 

今後僕は車の運転もできない男というレッテルを貼られるのである。

司法試験の話とかをして、すごいねとか言われても、(でも車の運転できないんだよね)と思われる。

今日暑いですね、と話しかけても、うん暑いね(君は車の運転できないけど)となる。

車の運転できない奴に嫁は来ない。

 

明日からどういう顔してバイトに向かえばいいのだろうか。

すみません、替わってくれませんか

とあんなか細い声は久し振りに出したと思う。

 

 

 

 

「司法試験後  時間  使い方」などというブログを書いている暇があれば車のバックを練習すべきだったのである。

男だけで脱衣麻雀をしている暇があったら車のバックを練習すべきだったのである。

司法試験が終わった5月20日に速攻で夜行バスで実家に帰り、次の日から実家のマニュアルのトラックでバックの練習に明け暮れるべきだったのである。

 

実際、車の運転の練習しといた方がいいな、というのはずっと前から懸案にしていたことなのである。

 

時間はあれだけあったのにな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

「時間はあれだけあったのにな」

 

今までの人生で何度この言葉を思ったであろうか。

 

人類が二足歩行を始めてから今日まで、どれだけの人間がこの言葉を思っただろうか。

 

 

 

 

司法試験が終わって2ヵ月弱ですが、今一度時間の使い方を見つめ直してみませんか。

 

 

 

「時間はあれだけあったのにな」

と、ひとり呟く時が来ないように。

 

 

 

 

というか今ってみんな何してるんですか。

 

相変わらずニートな生活をしている人はいるんでしょうか

 

いるなら車のバックの練習をした方がいい。

 

もしくは田舎に来て、都会で下宿する学生は車を運転できなくても仕方ないことを人々に理解してもらうキャンペーンを展開してください。

 

 

 

 

 

end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阪急六甲の阪急そばが閉店するねんて。

今日は大阪で従姉妹の結婚式でした。

梅雨の晴れ間でいい天気、昼間から飲んでいい気持ち、18時半ぐらいにまだ明るいのにもうこんな時間かとか思いながら久しぶりに会った兄弟と別れ、お世話になっている従兄弟のお兄さんにタクシーで梅田まで送ってもらい、ぷらぷらと阪急の神戸線で六甲まで帰った。

 

帰るまえにラーメン食べて帰ろう、らー太かな、いや盛盛行こう、とか思いながら電車にのって、長年の習慣から阪急そばも頭にはあったけど、阪急そば~?いやないない、結婚式でいい気持ちやねんで、今日は盛盛、そうじゃなくてもらー太、とにかくラーメン、今日はラーメンラーメン。とか思ってたのにとりあえず阪急そば覗いてみる経由で盛り盛り向かう感じで自然と足が動いた。

 

そしたら阪急そばに見慣れない貼り紙があったので見たら6月30日をもって閉店するとか書いてある。

思わずくぐってしまった。暖簾を。暖簾ってあったっけ阪急そばに。

 

普通にきざみそば食べた。

しかも大盛を

阪急そばのおばちゃんはちょっと寂しそうではあった。しらんけど。

 

 

阪急そばにはお世話になりました。

18歳で縁もゆかりもなく神戸に来て知り合い誰もいないし回りはみんな関西弁喋ってるし完全に神戸が敵地で敵地のど真ん中に単身乗り込んだ状態だったときになんだかあの妙に落ち着ける空間(それはあそこにいけば常に同じメンバーでいるよく声が通る阪急そばのおばちゃんたちの存在による。)があったことは、神戸で暮らすにあたり大きかった。

 

一回生二回生のときは余裕のよしきだったやたら量が多い学生セットがいつしか食いきるのにまあまあ労力使うようになってわが全盛期の通過したことを感じたり、それでもロースクール時代は息抜きのために阪急そば食いにわざわざバイクで駅まで降りたりして、阪急そばは7年目に入ったわが神戸生活と共にあった。

はずなんですが。

 

閉店するって見たとき正直ちょっと受け入れてる自分がいたのです。

 

それがよくわかんないんだけど帰りのバス待ちながら考えてみたら、阪急そばが好きなことを自分のアイデンティティーにしてた部分があるのかもしれない

若者は人と違うアイデンティティー求めがちですからね、やたらキャラだとかなんだとか

 

 

これを読んでくださってる人は自分の好きなものってあるでしょうか。

好きなものあるのっていいですよね。

 

いいですけど、それを好きなことを自分のアイデンティティーにしていませんか。

例えば友達とか初対面の人とかがその同じものを好きって言った時にちょっとムッと来てその相手よりやたら詳しく喋ろうとしちゃってませんか

好きなこととアイデンティティーは切り離せない関係かもしれないけど、アイデンティティーの側面が強くなってたらきついですよ

 

 

僕もさっきまでお腹苦しかったですから

 

大盛はきつい。

そろそろ大盛はきつい。

 

 

 

 

 

 

結婚式はとてもよかった

何回かうるっと来た

あとこういう機に久しぶりに家族と集まるとか従兄弟や叔父さん叔母さんと会うのとかすごくいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

以下、特定の個人へのメッセージ

 

 

 

 

ムーミンパパはあなたの好きなことはアイデンティティーでありアイデンティティーはあなたの好きなことだと思うのでそのまま突っ走ればよろしいと思う。

 

 

我々はできるだけ近づかないように遠くから眺めている。

 

 

最近ツイッターのおすすめユーザーにやたら法哲学系の人が出てくることに怯えながら。

 

 

 

 

 

以上。

 

派遣バイト圧倒的コストパフォーマンス

派遣のバイト、夕勤。17時から22時。
ポートアイランドにある某企業の物流倉庫。

ポートライナーわりと終点ギリギリまで乗る。

段ボールひたすらカッターで解体して台車に積む。ひたすらカッターで解体して積む。ひたすら段ボール段ボール段ボール、時々プラスチックのケースを畳む。
時給900円だから5時間で4500円
でも休憩が計40分ぐらいあった。
行き六甲から三宮まで阪急190円、往復380円
ポートライナー代は支給される
休憩のとき飲み物買って110円。
軍手108円。一回でだめになるから毎回買わないといけない。
そうするとこのバイトのための支出が計598円。
行き帰りの時間が計2時間ぐらい。

雨のなかポーアイまで行くのめんどい、

帰りなどはめんどさの程度は著しい。
時間も合わせるとこのバイト6時間20分で3902円。
時給にすると616円ぐらい。
肉体労働なうえに慣れないところ行くから心身疲れ果てる。

帰りのポートライナーに乗りながら計算して圧倒的コストパフォーマンスを理解するに至り座席に沈んだ。

夜遅く身体引き摺って帰る。家遠い。

おとなしく本読んで教養つけるか勉強した方がいいかもしれない

サマクラ勢は圧倒的勝ち組。

 

三国時代 名士


f:id:ichijikaidekaeru:20180615132813j:image

『「三国志」の政治と思想  史実の英雄たち』

渡邉義浩

講談社選書メチエ

 

 

 

 

とても面白い。

 

 

文化資本をその基盤にし、独自のネットワークと自律的な秩序を形成し、豪族たちへの影響力をもつ「名士」と、君主権力を確立して自らの影響力を確保したい君主たちとのせめぎあい

 

という視点を通して見た三国志

 

 

 

 

知っていた三国志の世界が再構築されていく面白さに思わず失禁した。

 

 

という誇張表現

 

 

 

もしもジャイアンがガキ大将の座では飽きたらず、学校をもシメようと決意したときは、この本の内容は有用であると思う。

 

いくらジャイアンがその武力を誇っていても、また、いくらスネ夫という圧倒的財力を有する配下武将を擁していても、それだけでは政権を安定させることはできない。

清廉潔白博識多才、皆から一目置かれている「名士」たる出来杉君の影響力を味方に得てはじめてその地に政権を定着させることができる

 

 

 

という比喩。

 

 

 

 

 

「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち (講談社選書メチエ)

「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち (講談社選書メチエ)