阪急六甲の阪急そばが閉店するねんて。
今日は大阪で従姉妹の結婚式でした。
梅雨の晴れ間でいい天気、昼間から飲んでいい気持ち、18時半ぐらいにまだ明るいのにもうこんな時間かとか思いながら久しぶりに会った兄弟と別れ、お世話になっている従兄弟のお兄さんにタクシーで梅田まで送ってもらい、ぷらぷらと阪急の神戸線で六甲まで帰った。
帰るまえにラーメン食べて帰ろう、らー太かな、いや盛盛行こう、とか思いながら電車にのって、長年の習慣から阪急そばも頭にはあったけど、阪急そば~?いやないない、結婚式でいい気持ちやねんで、今日は盛盛、そうじゃなくてもらー太、とにかくラーメン、今日はラーメンラーメン。とか思ってたのにとりあえず阪急そば覗いてみる経由で盛り盛り向かう感じで自然と足が動いた。
そしたら阪急そばに見慣れない貼り紙があったので見たら6月30日をもって閉店するとか書いてある。
思わずくぐってしまった。暖簾を。暖簾ってあったっけ阪急そばに。
普通にきざみそば食べた。
しかも大盛を
阪急そばのおばちゃんはちょっと寂しそうではあった。しらんけど。
阪急そばにはお世話になりました。
18歳で縁もゆかりもなく神戸に来て知り合い誰もいないし回りはみんな関西弁喋ってるし完全に神戸が敵地で敵地のど真ん中に単身乗り込んだ状態だったときになんだかあの妙に落ち着ける空間(それはあそこにいけば常に同じメンバーでいるよく声が通る阪急そばのおばちゃんたちの存在による。)があったことは、神戸で暮らすにあたり大きかった。
一回生二回生のときは余裕のよしきだったやたら量が多い学生セットがいつしか食いきるのにまあまあ労力使うようになってわが全盛期の通過したことを感じたり、それでもロースクール時代は息抜きのために阪急そば食いにわざわざバイクで駅まで降りたりして、阪急そばは7年目に入ったわが神戸生活と共にあった。
はずなんですが。
閉店するって見たとき正直ちょっと受け入れてる自分がいたのです。
それがよくわかんないんだけど帰りのバス待ちながら考えてみたら、阪急そばが好きなことを自分のアイデンティティーにしてた部分があるのかもしれない
若者は人と違うアイデンティティー求めがちですからね、やたらキャラだとかなんだとか
これを読んでくださってる人は自分の好きなものってあるでしょうか。
好きなものあるのっていいですよね。
いいですけど、それを好きなことを自分のアイデンティティーにしていませんか。
例えば友達とか初対面の人とかがその同じものを好きって言った時にちょっとムッと来てその相手よりやたら詳しく喋ろうとしちゃってませんか
好きなこととアイデンティティーは切り離せない関係かもしれないけど、アイデンティティーの側面が強くなってたらきついですよ
僕もさっきまでお腹苦しかったですから
大盛はきつい。
そろそろ大盛はきつい。
結婚式はとてもよかった
何回かうるっと来た
あとこういう機に久しぶりに家族と集まるとか従兄弟や叔父さん叔母さんと会うのとかすごくいいですね。
以下、特定の個人へのメッセージ
ムーミンパパはあなたの好きなことはアイデンティティーでありアイデンティティーはあなたの好きなことだと思うのでそのまま突っ走ればよろしいと思う。
我々はできるだけ近づかないように遠くから眺めている。
最近ツイッターのおすすめユーザーにやたら法哲学系の人が出てくることに怯えながら。
以上。